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藍色哀歌

藍色哀歌 第三部 飛翔5

 ←藍色哀歌 第三部 飛翔4 →【野良猫の夢】

 美しい高原の明るい墓地だった。墓の前に立つと、その向こうに町が小さく見下ろせて、更にその向こうの青い山並みがとても綺麗に霞んでいる。

 墓標に名前は刻まれていなかった。楕円形のキラキラ光りを照り返す真っ白な石に、何か詩のようなものが薄く彫られていた。周囲の砂地を埋め尽くすように苗木のバラが何本も植えつけられ、その下に眠る魂を守っているようにそよそよと風に揺れながら緑の葉が揺れていた。

「蒼次郎さん」

 墓石の前に立ち尽くし、藍子は震える声で呼びかけた。

「蒼次郎さん…?」

 ゆっくりと近づき、その墓石にそっと手を触れた。冷たい鉱物。光に照らされてはいても、それはやはり固く冷たい石でしかない。唇を震わせてその石を掌で撫で、そのまま藍子は崩れ落ちるようにそこに取り縋り、声をあげて泣き伏した。

「蒼次郎さん、蒼次郎さん、…蒼次郎さん、どうしてっ」

 蒼次郎は彼女の背後に静かに立ち、ただ16年の軌跡の最後の瞬間を見つめていた。

「どうして、蒼次郎さん、どうして―」

 はらはらと大粒の涙が頬を伝い、それをぬぐいもせずに藍子は泣き続ける。

「一目お会いしたかった。一目だけでも、一言だけでも言葉を交わしたかった…、どうして私に何も告げずに一人で逝ってしまわれたのですか? どうして、…どうしてっ―」

 物心ついたときにはすでに、蒼次郎は藍子の生活の一部だった。姿は見えなくても常に見守っていてくれる友人のように。

 幼いなりに悩んだ厳しい両親のこと、落ちぶれていく家、藍子を可愛がってくれた使用人がどんどん辞めていき、静かになる家の中と平行して母の機嫌も悪くなっていった。些細な失敗に手をあげられたことも、友人とうまくいかなくなって泣いたときも、その悲しみや悔しさ、すべてをさらけ出したのは蒼次郎にだけだった。彼が、いつでも公平な目で藍子を見つめ、そのとき彼女に本当に必要なことを言ってくれる唯一の相手だったから。甘やかすのではなく、間違いは厳しく指摘してくれる本当の友人だったから。

 約束がこんなに不確かなものだったなんて、当時の二人には考えの及ばないことだっただろう。その日がくれば必ず会えること、いずれ人生の伴侶として共に暮らす相手であることを前提に、そのためにお互いのことを知ろうとそれまで日々を暮らしてきたのだ。

「一緒にお茶をいただいたり、…やっと一緒に同じ映画を観て、同じ時間を同じ場所で過ごせると思っておりましたのに…」

 そんなささやかな当たり前の日常が、二人にとっては永遠の憧れとなり、焦がれただけの幻として消えてしまった。

「私は…蒼次郎さん、い、いつもしてもらうばかりで…何一つお返し出来なかった。私はいつも甘えてばかりで、頼ってばかりで、…め、迷惑ばかり掛けて…」

 墓石に頬を寄せながらついに藍子はしゃくり上げる。

「蒼次郎さん、ごめんなさい。…最期にお会いできなくて…苦しみを分かち合って差し上げられなくて…」

 泣き疲れ、嗚咽で言葉にならなくなるまで、蒼次郎はただ藍子を見守っていた。

「お会いしたかった…。お会い…したかった、蒼次郎さん…。ど、どうし、て…どう…して―っ」

 泣き腫らし、涙でぐしゃぐしゃの藍子に、蒼次郎はゆっくりと屈み込んでハンカチを手渡した。自然にそれを受け取り、涙を拭きながら、藍子は墓石に頬を寄せて涙を流し続ける。

 ふわりと風が動いた。バラが優しく揺れキラキラと光の粉を撒き散らしているように見える。

 そこに、―いるのか?

 蒼次郎は、ふと墓石の上の光を見つめた。病室で弱々しく微笑んでいた彼ではなく、恐らく藍子と手紙を交わしていた頃の彼のくっきりした笑顔が見えた気がする。そして、涙を流す藍子向けてすうっと優しい視線を落とした。母猫が仔猫を見つめるような、無償の愛を注ぐ親のような柔らかい眼差しで。

「あいつが困ってますよ」

 藍子の身体がぴくりと反応した。

「立てますか?」

 手を差し出されて、藍子はようやく顔をあげる。眩しい光を照り返す真っ白な墓石を見つめて、彼女はその光の向こうにふと人影が見えたような気がして目をこらす。

「蒼次郎さん…?」

 声がかすれていた。

「ええ、ようやくあなたに会えて、蒼次郎は嬉しそうですよ」


 その夜、二人は高原のペンションに一泊することにしていた。木造で洒落たログハウス風のその宿は、他にも夫婦や家族連れが何組か泊まっているようだ。ペンションの駐車場は車でいっぱいだった。それぞれの部屋はそれほど広くなかったが、ベッドが二つとソファベッドが二つ、そして、木製の立派なテーブルが広い窓のそばに置かれていて、お茶を飲みながら外の景色が見えるような光がいっぱいの開放的な造りになっていた。

 周囲は白樺と広葉樹がまばらに立ち並ぶ明るい林で、落ち葉が降り積もった柔らかい土は独特の良い香りがする。蒼次郎の眠る墓地からペンションまでは、歩くと30分以上は掛かる程度には遠かったが、藍子は歩きたいと言った。

「蒼次郎さんがいらっしゃる場所を身体に刻み付けておきたいんです。澄んだ空気の匂いと、青空の色、目を閉じると聞こえる木々のざわめきや…もしかして顔を覗かせてくれるリスやネズミの足音などを―」

 そして、大地を踏みしめる足元に視線を落とし、俯いたまま藍子は言った。

「ありがとうございます、蒼次郎さんの眠る場所にこんな素敵な高原を選んでくださって」

 ぽたりと涙が舞い散る枯葉に落ちた。

「蒼次郎さんを看取ってくださって、ありがとうございました」
「いいえ」蒼次郎は、立ち止まった藍子を見つめて足を留め、肩をふるわせる彼女を黙ったまま待つ。本来なら彼女自身がそばにいて、彼の最期に立ち会いたかったのだろう。

 運命は残酷だと思う。

「蒼次郎さん」涙をぬぐい、顔をあげて藍子は言った。
「私は、これでもう思い残すことはございません。あなたは、私の婚約者としてあの家との枷をひとつ外してくださいました。今度は私が蒼次郎さんのお役に立ちたいと思います。どのようにすればよろしいでしょうか?」
「そんなお話しはまだ良いんですよ」
「いいえ」藍子は首を振った。
「どうぞ、おっしゃってください。蒼次郎さんが身代わりとしてお願いしたのは、婚約の成立まで―そうだったのではありませんか?」
「違いますよ」蒼次郎は目を細める。「彼が俺に言ったのは、藍子さんを守ってください、ということ。あなたを幸せにして欲しいということです。そう申し上げたはずですが」
「…でも、それは―」
「俺はそのつもりでいるのですが、何か問題ですか?」

 藍子は、泣き腫らした目で蒼次郎を見上げて、そして、首を振った。

「では、私は、このまま蒼次郎さんのおそばにいてもよろしいのですか?」
「今更イヤだと言っても認めませんよ」

 俯いたままの藍子の肩を抱き寄せて、蒼次郎は言った。

「藍子さん、俺と一緒にあの家を出てしばらく旅をしませんか? 海外へ留学するという名目で」


 年末が押し迫ったある夜、就寝前に屋敷内を見回っていた皐月は、最後に3階へ向かい、端から順番に窓の施錠を確かめていた。蒼次郎の部屋にはもう灯りはなく、眠っているのかとそっと足音を忍ばせて通り過ぎようとした。

「皐月さん」

 突然扉が開いて、皐月は驚いて持っていたスペアキーの束を取り落としそうになる。

「これは―蒼次郎さん、まだ起きて…」
「俺は約束は果たしました」

 薄闇の中、半分扉の向こうにいる蒼次郎の表情は分かりにくかった。

「あとは俺の好きにして良いですね?」
「それは―」
「成島蒼次郎として諏訪との婚約、婚姻まで漕ぎ付けた。今後は俺は蒼次郎から託された約束を果たしていく。だけどそれは俺のやり方で」
「お待ちください、蒼次郎さん。いったいどうなさるおつもりですか?」

 蒼次郎の目が暗闇で尚光りを放った。

「藍子さんをさらっていきます」

 皐月は言葉を失った。

 あの日、蒼次郎と名乗る彼に初めて会った日。

 病院でもらった小さな紙切れに書かれてあった番号に電話をすると、すぐに若い男が出た。諏訪の家の者だと名乗ると、彼は一瞬の沈黙のあと「皐月寛貴さんですか」と言った。

「私をご存知ですか?」
「諏訪のご当主ではないのですね? ええ。…藍子さんがよく話題にしている執事の方ですね」
「成島蒼次郎さんですか?」

 ややあって、相手は、ええ、とだけ答えた。

 彼の指定する場所―都内の小さなホテルに向かい、そのロビーにその男の姿を初めて見たとき、皐月は何故か身が引き締まるような妙な緊張感をおぼえた。どす黒いとでも表現したくなるような黒味掛かった赤いシャツに、灰色掛かった濃い緑色のスーツ。ネクタイは締めずに上のボタンを開け、黒いサングラスを掛けた背の高い男だった。チンピラというにはあまりにも堂々とした佇まい、ヤクザの幹部と言ってもおかしくないのに、妙に品のある空気を抱いていた。

「はじめまして」と相手はサングラスを外して真っ直ぐに皐月を見つめる。

 ロビーのソファに向かい合って座る二人を誰も気にも留めない、そこもまた客が少ないわけでもないのに、奇妙に静かなホテルだった。

 皐月はそこでそれまでの経緯―すでに成島蒼次郎はまったく別の人間として亡くなっていたこと。彼の遺体を引き取り、葬儀を執り行い、高原の一等地に墓地を買って埋葬をしてくれたのはまったく通りすがりの目の前の男だったこと。そして、蒼次郎がその男に遺志を託していったこと―を聞いた。

「お亡くなりになっていたなんて、…私はお嬢さまにいったいどのようにお伝えしたら―」

 皐月は頭を抱える。あれほど蒼次郎と会える日を待ちわびている藍子に、彼はもうこの世にいないなどとどうして言えるだろうか。蒼次郎の存在は彼女の弱った心を支える最後の砦だったのに。

「皐月さん」彼の苦悩を見つめながら彼は口を開いた。 
「蒼次郎くんは、俺に‘藍子さんを守ってください’と言いました。そして、‘どうか、彼女を幸せに’と。俺は、その約束は果たします」

 彼は無表情のままそう言った。そうだ、成島蒼次郎が信じて藍子のことをこの男に託して逝ったのだ。皐月も、彼を信じるしかない。

「あの、―蒼…次郎、さん」皐月は少し心配になって口を挟む。「成島さんとして、藍子お嬢さまのお披露目にはご出席いただけるのでしょうか?」
「それが、藍子さんを守ることに?」
「はい。とても大事なことです。そのお披露目が諏訪家にとっては重要なことです。つまり、それが整わなければ藍子さんは蒼次郎さんと一緒になることは出来ません。亡くなった蒼次郎さんが、その日までどうしても死ぬ訳にはいかないとおっしゃっていたことが、そのためです」
「…何故です?」
「蒼次郎さんからお聞きになってらっしゃいませんか?」
「彼は、藍子さんとの15年の経緯や、彼女のこと、自分のことを話すことで精一杯だった。婚約披露のことは、藍子さんの誕生日に併せて行うということだけ―」

 皐月は、説明した。そのお披露目で諏訪家と成島家の婚約を周知させることが絶対に必要であること。そのとき、蒼次郎が現れなければ、彼女の両親は別の相手をすでに用意しているのだということを。

 蒼次郎はそれを聞いて僅かに不快そうな色を浮かべたが、言葉にはしなかった。

「分かりました。藍子さんの誕生日には諏訪の屋敷に。ええ―承知しました」
「出来れば、すぐにでも一緒に屋敷に行っていただけませんか?」

 しかし、それには蒼次郎は明確に首を振った。

「その日は必ず伺いましょう。だけど、俺にも仕事があります。今、ここを離れる訳にはいきません」

 彼の仕事が何なのか、聞きだすことは出来なかった。しかし、蒼次郎が信じたこの男を皐月も信じられる気がした。細かい段取りを二人はそこで打ち合わせる。

「よろしくお願いいたします」

 皐月は頭を下げ、二人はそこで分かれた。

 そして彼もまた、出かけてきた口実のために藍子への祝いの品を手に入れる必要があった。皐月は、あの珊瑚の持ち主を知っていた。何故ならあの女性は、彼があの夜依頼した会場の警備員だったのだから。目立たないようにとは頼んだもののまさかパーティ会場にあのような恰好で堂々と入り込んでくるとは思ってもみなかった。それでも、彼女の存在は場に華やかさを添えることになり、皐月は妙に感心してもいた。あの女性が幼い日に藍子と交わした約束。それを覚えていてくれることを祈り、彼は依頼した組織を訪ねて旅立った。

‘あなたとの約束は果たしました’

 確かにその通りなのである。

「しかし、いったいどちらへ―」
「詮索はご無用に願います」
「ですが、蒼次郎さん、藍子さまはまだ高校を卒業されておりません。未成年です。それに、奥様にいったい何と―」
「皐月さん」蒼次郎は唇の端をあげて彼を見つめた。
「俺は、蒼次郎と交わした約束をまっとうする、それだけです」


 入籍を早めたのは蒼次郎の意向だった。双方の親からは特に異論もなく、弁護士を通して同意書提出と共に婚姻届を役所に提出し、受理された。

「本当に良いんですか?」

 その夜、蒼次郎の部屋の窓から月を眺める藍子の背後で、彼は言った。冬の月は空気が冷たく澄んでくっきりと陰影が浮かび、白く光っている。灯りを落とした部屋の中、月明かりだけで二人は話していた。蒼次郎は白いシャツに濃紺のパンツ姿で、その上にガウンを羽織っている。

「ええ、覚悟は出来ております」

 柔らかい薄い桃色の部屋着で藍子は振り返って答えた。その瞳には月が宿っているような不思議な色が浮かんでいる。

「覚悟―ですか」

 蒼次郎が口にすると、それは藍子のそれとは別の色を帯びて鉛のような重みが増す。

「出会った初めから、蒼次郎さんは‘覚悟’という言葉を私に頻繁に提示されました。それを無意識に繰り返す内に、私は本当にいろいろ覚悟が据わってきたように思います。…そういうことも、すべて計算されていたのでしょう?」
「さあ」蒼次郎は僅かに目を細めた。
「ひとつずつ、少しずつ、…蒼次郎さんは私に覚悟を求めて、自ら考え、選択するように仕向けていらしたんです。覚悟が据わらないならやめても良いのだ、と」
「そうでしたか?」
「ええ」藍子は静かだがはっきりとした声で言った。
「16年間、生まれてから今日まで、ずっとお慕いしてきた蒼次郎さんは、ゆっくりゆっくり私の手を引いて半歩前を歩いてくださったように思います。でも、蒼次郎さんは決して手は繋がずに、数歩前を行きながら何度も振り返って ‘ここまでおいで’と、立ち止まって私をお待ちになっている、そんな風に感じられます」

 蒼次郎は、少し感心したように眉を動かした。

「それはまた、藍子さんらしい詩的な捕え方ですね」

 藍子は、優しい光を宿す彼の瞳を真っ直ぐに見上げて、意を決したように口を開いた。

「蒼次郎さん、どうして、私をお連れくださるんですか? 私などおそばに置いたら足手まといになることは明白で、私は手を離されたらきっと一人では何も出来ない。もしかしたら、途中で帰りたいと我儘を言い出すかも知れないと、そんなことはお考えにならないのですか?」

 それは、彼女なりの不安の表れであろうと蒼次郎は思った。何度も決意して、何度も自らの覚悟を問い直して、それでも尚揺らぐ心を抑えられないのだろう、と。そして、それは無理もないと分かってもいた。

 蒼次郎は藍子の手を引いてベッドへ座らせ、その足元に片膝を立てて彼女と目線を合わせる。

「藍子さん、あなたに覚悟を強いたように、俺にも相応の覚悟はありますよ」

 蒼次郎の瞳にも白い光が灯る。それは曖昧で不確かで、それでも尚光を照り返す空に浮かぶ月の光のようだった。

「ひとつ白状いたします。俺はかつて―そう、『花籠』の仕事を請け負い、組織に誘われていた頃、愛した女性がいました。あなたのような華族のお嬢さんではなかったが、ごく普通の家庭のごく普通の娘さんだった。素直で清らかで、優しい子でした。…だから、別れました。俺がそばにいてはいずれ彼女の人生の邪魔になるだろうと思ったから。その後、彼女は俺が教えた特技で『花籠』に登録し、仕事を請け負うようになったと知りました。それでも、それは彼女がいろいろ人生を模索した結果なのだと止めはしませんでした。だけど、彼女は―」

 蒼次郎は、真剣な表情で彼の話を聞いている藍子の片手をそっと持ち上げ、唇を寄せた。

「彼女は、事件に巻き込まれて死んでしまいました」

 藍子が息を呑んだ気配を感じる。

「後悔しました。彼女の人生に関わってしまったことも、彼女の手を離してしまったことも、です。そばにいれば守れたかも知れないという、のた打ち回るような苦しみはずっと俺に付き纏いました。そんなとき、彼に―あなたの蒼次郎に出会ったんです」
「その方は、きっと、蒼次郎さんをずっと待って、探してらしたんですね。だから、蒼次郎さんがかつて関わった組織に入って、いつかそこで会えることに一縷の望みを抱いて―」

 蒼次郎の手をぎゅっと握り返して、藍子は言った。蒼次郎はゆっくりと顔をあげる。

「俺は、そんな風には考えられなかった。もう、彼女の人生から俺は消えたと思っていたから」
「でも、そうではなかったのですね?」
「俺と出会わなければ彼女は死ぬことはなかった。でも、俺がそばにいれば守れたかも知れない。少なくとも、あんな死に方をさせはしなかった。俺は、彼女の人生から何もかもを奪ってしまったんです」

 人生ヲ奪ッテシマッタ―

 どくん、と心臓が鳴った。
 愛した人を守れなかった。死にさらわれるその瞬間を看取ることは叶わなかった。それはなんて切ないことだろう。

 藍子の瞳から涙が一粒零れ落ちた。

「藍子さん?」驚いて蒼次郎は、その涙の流れ落ちた跡をそっと指で撫でた。「何故、あなたが泣くんですか?」
「分かりません」

 藍子は目を閉じた。

「…分かりません」

 蒼次郎は立ち上がって藍子の隣に腰掛け、彼女の頭を抱き寄せる。細い肩が震えていた。蒼次郎の胸に取り縋ったまま、藍子はくぐもった小さな声で聞いた。

 たくさんの親切を、たくさんの労わりと愛情を、励ましと慈しみの心を、蒼次郎からもらうばかりだったと泣いた藍子の心そのままのような気がした。

「蒼次郎さん、その方のことを今でも愛してらっしゃるんですか?」

 蒼次郎は僅かに沈黙した。その沈黙が怖くて、藍子は顔をあげることが出来なかった。彼の瞳に彼女の面影が浮かんでいる、その遠い瞳を見たくなかった。

 しかし、くすりと蒼次郎は笑う。

「俺も同じ質問をしますよ、藍子さん。あなたは、16年間支えてくれた蒼次郎を、今でも慕っているんでしょう?」

 え、と驚いて藍子は蒼次郎を見上げる。

「人の心とは、そういうものです。愛した人を忘れ去ることは出来ません。でも、人は再び誰かを愛することが出来るんですよ」
「でも…蒼次郎さんは―亡くなった蒼次郎さんに」
「ええ。確かに俺は彼にあなたを託されました。それは大前提です。でも、申し上げたでしょう。俺は相手があなたで申し分ない、満足してますよ、と。彼に頼まれたからではない、俺があなたを欲しいと思った。だから、二度と手は離すまいと決めた。それ以外のことはそのとき考えます」

 蒼次郎の唇の動きをぼうっと見つめていた藍子は、言われた意味を理解するまでに数秒を要し、やがてかあっと頬を染めて慌てて俯いた。

「彼から受け継いだこの名前と立場は、きっちり守ってみせます。利用価値は考えていたよりずっと高い」

 蒼次郎の独り言のような呟きにそっと顔をあげて、藍子は彼の瞳に浮かんだ暗い光に心がざわめく。

「藍子さん、ご存知の通り俺は基本的に裏の世界の人間です。俺のそばにいれば危険もありますが、おもしろいことも沢山ありますよ。何より、自由に生きることが出来る。そして、世界を見せてあげますよ。循環する命の仕組みを見つめるのも良い」

 蒼次郎はそっと藍子の髪に口付けた。

「何があってもあなたのことは守ります。ついて来てくれますね?」

 蒼次郎の胸に顔を埋めて、藍子はしっかりと頷いた。

 もういない蒼次郎は‘青’だったと、藍子は思っている。彼女を見守り続け、支え続けて、彼女のために死んでしまった蒼次郎。彼の存在は澄んだ‘青’そのものだったと。これ以上ない、美しい青い空、青く澄んだ南国の海、水の青、若々しい緑の青。彼は、透明感のある青だった。

 それに比べて藍子は名の通り深くよどんだ藍色。
 青は藍より出でて藍より青し。

 どうしてだろう?
 藍子は、青を慕い、青に焦がれて生きてきたつもりだった。

 それなのに、ときに優しく目を細める蒼次郎より、こんな風に闇を見据える藍より暗い濃紺の瞳に、より惹かれているような気が、した。



―完―


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