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藍色哀歌

藍色哀歌 第ニ部 魍魎8

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 藤堂はその後、一切の沈黙を守り通し、ただひたすらに仕事だけを進めていた。
 蒼次郎は彼に対して、それまで同様、ほとんど関心を払わなかったし、諏訪家の誰も蒼次郎を疑う様子はなかった。

 初冬のどんより曇った週末。

 その日、ダイニングルームを出てすぐの階段脇で背後から声を掛けられた藤堂は驚いて振り返る。昼食を終えてそれぞれ部屋へ戻るところだった。

「藤堂さん、お加減でもお悪いのですか?」

 それまで決して自ら近寄ってくることすらなかった藍子にそう声を掛けられ、藤堂は驚いた。

「近ごろ、お顔の色が優れないように見えますけど」

 藍子の声は柔らかく優しかった。狭霧と蒼次郎の間に藍子がいたことは明白だったので、彼は彼女にも近づかないようにしていたのだが、そのとき彼は何とも言えない安らかな気持ちを抱いた。

 野心も名声も、命あってのものだと痛感した。その根源が脅かされる恐怖を体験すると、人間は命の源に立ち返るのだろう。それまで抱いていた余計なものがごっそりとそげ落とされてしまったようだ。

 彼は目の前に立つ幸せそうな藍子の様子に、ふと心が痛んだ。出会った当初、二人の姿におどおどと怯えていた彼女とはまるで別人のように凛とした瞳で前を見つめ、蒼次郎を見るときの瞳の色に明確に熱い恋の炎が宿っていることが今ではよく分かる。

 このまま―、何も知らぬまま騙されたままでいる方が幸せだろうか、と藤堂は考える。少なくとも、蒼次郎の藍子に対する態度だけは紳士的で、常に冷たい漆黒の瞳に、彼女を見つめるときだけ柔らかい光が宿るのを見ることもある。

 その真意を、しかし藤堂は知っていた。諏訪家の一人娘である彼女に対する利用価値を、蒼次郎はよく分かっているのだろう。
 所詮、同じ穴のムジナだ。ただ数段、やつの方が性質が悪い。いや、その程度の違いであるかどうかすらあの報告書からは分からなかった。

 大学は休みであろう筈なのに、その日も蒼次郎はどこかへ出かけているようで屋敷内に姿が見えなかった。

「ええ、ありがとうございます、大丈夫です」

 藤堂は微笑んで答え、不意に周囲を見回して声を潜めた。

「蒼次郎くんは今日も姿が見えないようですが、ご一緒にお出かけなさったりはしないんですね」
「ええ、蒼次郎さんはお忙しいので」

 藍子の顔に浮かんだ慈愛ともとれる柔らかい笑みに、藤堂は初めて羨望のような嫉妬のような奇妙な感情をおぼえる。少女が大人の女性へと変貌していく様をこうやって目の前に見せ付けられるのは、それがもしかして手に入るかも知れない相手だったとすれば、余計にその渇望は深い。

「藍子さん、午後はどうなさいます?」
「お部屋で過ごします。読みかけの本がございますので」

 決してある一定の領域に相手を立ち入らせない気高さだけは健在で、藍子は静かな笑顔を浮かべた。それまで誰も踏み入ることは出来なかった藍子の聖域にあの男は―蒼次郎は安々と招き入れられたのだと思うとどこか理不尽な怒りを感じる。ここで、あの男の正体を明かしてやりたい衝動に駆られる。藍子が真実を知ったら、あの男はどうするだろう?

 藤堂が何かを言う前に、では、と一礼して藍子は彼の脇をすり抜けて部屋へと向かう。

「お嬢さん」思わず藤堂は呼び止める。藍子は振り返らなかったが、足を留めた。
「蒼次郎くんは―」どくん、と心臓の音が鳴った気がして藤堂はごくりと生唾を飲み込む。藍子が確かに彼に耳を傾けているらしい様子を確認して、彼は叫んだ。
「蒼次郎は、偽者です。あの男は、蒼次郎くんじゃない」

 思いのほか、声が廊下に響き渡った。

 俺が偽者とは、どういう意味ですか? と突然背後から声が聞こえそうな気がして、藤堂ははっと周囲を見回した。そして、藍子に視線を戻したとき、彼女の瞳に宿った驚愕と恐怖のような色合いに、まるでやけくそのような歪んだ喜びを感じた。

「お嬢さんも本当は疑っていたんじゃないですか? 本当に手紙のやり取りを交わした相手なのかどうか?」

 藍子は青ざめた表情のまま視線を揺らし藤堂から目をそらす。

「思い出は噛み合ってますか? 約束は覚えていてくれましたか? 何より、蒼次郎という男は―、僕が聞いていた人物像とはまったく違います。正反対と言っても良い。それを―」

 思わず近づいた藤堂から一歩身を引いて、藍子は耳をふさいだ。

「やめてください」

 悲鳴のようなその声色に、藤堂は尚も食い下がる。もう後には引けなかった。

「あの男は、成島蒼次郎とは別人です。お嬢さん、あなたはあの男に騙されているんですよ」
「やめて!」青ざめてはいても、きっぱりとした口調で藍子は言った。
「…そのお話は聞かなかったことにいたします。失礼いたします」
「お嬢さん」

 思わず彼女に向かって伸ばした藤堂のその手をすり抜けるように藍子は駆け出し、後を追おうとして彼は2~3歩踏み出して―不意にざわりと背筋に寒気を感じてゆっくりと振り返った。

「そ…蒼次郎くん」

 廊下の向こうに蒼次郎が立っているのが見え、藤堂は全身から血の気が引いた。藤堂は何かを考える前に大慌てで階段を駆け上る。その背中に蒼次郎が声を掛けた。

「藤堂さん」

 階段の踊り場で相手を見下ろす形になったとき、藤堂はようやく振り返った。「な、何ですか?」蒼白な額に冷汗がにじむ。蒼次郎は階段の真下まで歩み寄ったが、それ以上は近づかずに階下から静かに彼を見上げる。

「俺のことをいくら詮索しようが、何を調べようがまったく構いませんが」一旦言葉を切って蒼次郎はまるで射抜くような鋭い視線を向ける。「藍子さんに、余計な手出しは無用に願います。以前、そう申し上げた筈ですが?」

 蒼次郎が近づいてこないことを確かめると、藤堂はごくりと唾を飲み込む。

「お嬢さんに知れたら、君は終わりだものな」

 その言葉に、蒼次郎は僅かに眉を寄せ、そして、微笑んだ。

「終わり―ですか」
「君が、お嬢さんの恋人に成りすましている。それをお嬢さんに知れたら、君は何もかもを失う。そういうことだろう? 君は、お嬢さんを利用してこの家を乗っ取ろうと考えている。そうだろう!」
「それは物騒ですね」
「トボけるな。君はお嬢さんに相応しくない。君は人殺しだ」

 蒼次郎は表情を変えなかった。

「お嬢さんを幸せに出来るのは―諏訪の家に相応しいのは…」
「藤堂さん」蒼次郎の声がすとんと冷えた。まるで人格が切り替わったかのように空気が色を変えた気がする。
「藍子さんに手出しは無用です」

 ぎょっとして藤堂は一歩後ずさった。

「僕は、何も」
「そもそも」言いながら蒼次郎は階段へ一歩を踏み出した。「お嬢さんに知れたら?」ふふ、と彼は含み笑いをする。藤堂は慌てて踊り場から上の階へと進む。

「つい先ほど、貴方は俺が偽者だと声高に藍子さんに話しておりませんでしたか?」

 その言葉を聞くか聞かない内に、藤堂はダッと駆け出した。息を切らせて部屋の扉に辿り着いたとき、不意に背後から襟首を掴まれて壁に叩きつけられ、藤堂は叫び声を上げた。

「良いですか、藤堂さん」相手はまったく息を乱していなかった。片手で喉を押さえ込まれ、目の前にナイフを突きつけられて藤堂は声を失う。
「貴方は、諏訪の義父の優秀な秘書です。俺は貴方を失いたくはないんです。ただ―」藤堂は苦しそうに声を漏らす。「藍子さんに邪な想いを抱くことはご遠慮願います」

 静かな声と穏やかな表情のままで、蒼次郎は藤堂の首を締め上げた。

「く―っ」

 蒼次郎は言い終わるとスッと手を放し、藤堂はごほごほと咳き込みながらその場に崩れ落ちた。足元でぜいぜいと息をする藤堂を見下ろして、蒼次郎は腰を屈め、肩ひざをついて相手の顔を覗き込んだ。その視線に気付いて、藤堂は苦しそうに喘ぎながら青ざめた視線を彼に向けた。

「な、何―を…?」
「申し上げた通りです」

 笑みを浮かべて蒼次郎は立ち上がった。思わず後ずさった藤堂を残して、彼はそのまま歩み去っていく。

 



第二部 完


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