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藍色哀歌

藍色哀歌 第ニ部 魍魎6

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 その夜遅く、藍子は母の寝室を訪ねた。仕事で遅くなるとき、父は別の部屋で休んでいた。扉をノックするとまだ部屋着のままの母が顔を出した。いつもならとっくに休む支度をしている時間なのに、彼女も眠れないのだろうか。

「お母さま、少しよろしいですか?」
「ええ。どうなさったの?」
「お話しが―」

 母は頷いて娘を部屋へ招き入れた。

「何か飲み物を?」
「いいえ」藍子は皐月を呼ぼうとした母を留めた。「すぐに済みます」
「そう」母は、怪訝な表情を浮かべたものの、そのままソファに腰を下ろした。今日は外で夕食を取ってきたことを知っていた。
「藍子さん、蒼次郎さんと…何か、あったんですか?」

 少し考え込んでいた藍子は、え、と顔をあげた。

「あ、いいえ、そういうことでは…」

 藍子は考え込みながら言葉を選んでいるように見えた。どこか不安そうな母を見つめて、彼女は一旦目を伏せて考えを巡らし、やがて意を決したように顔を上げた

「あの、私…お母さまにお話ししておかなければならないことがあります」


 9月は何事もなく静かに過ぎていこうとしていた。父は慌ただしく旅立ちの支度を開始し、諏訪家の当主が日本に滞在している間に挨拶しておこうと、屋敷を訪れる様々な業界の関係者も増えていた。

 藤堂も狭霧も秘書としては優秀な人材で、何より、彼らには後ろ盾がいた。家族や親戚に大企業の社長や工場経営者がついている。ゆくゆくはそれぞれのコネを最大限生かして独立していくつもりがあるのだろう。

 そんな中、狭霧を訪ねてやってきた人物がいた。一見して若いごく普通のサラリーマンのようだったが、その目だけが独特の光を放つ不思議な空気を抱く男だ。

「ご依頼の調査結果をお持ちいたしました」

 仕事上、事前に取引相手を調べることもあるため、彼らは探偵社と日常的に連絡を取っていた。探偵社の人間が何かの調査結果を持参してくることは珍しくはなかったので、誰も特に気に留めることはなかった。

 その報告書に目を通した狭霧の目が驚愕に見開かれ、奇妙な笑みが唇の端に表れ、それがゆっくりと顔中に広がっていった。

「これは、素晴らしい内容だ」


 その夜、シャワーを浴びてシャツ一枚にローブを羽織った格好で、蒼次郎はパソコン画面でニュースを確認しながら、ステレオから流れるクラシック音楽を聴くともなしに聴いていた。何か思うことがあっても言葉にしない癖がついている彼は、ふと苦笑を浮かべて椅子をまわし、背後の書棚を眺めた。棚に収納されているウィスキーのボトルに手を伸ばしたとき、ふと扉の外に人の気配を感じた。その小さな柔らかい空気に相手が誰であるのか容易に見当はついたが、―そんな筈はないと思った。

 しかし。ノックもせずに開いた扉の向こうから飛び込んできたのは思った通りの相手だ。

「藍子さん? こんな時間にどうしました?」

 見ると、彼女は寝巻きの上にガウンを羽織っただけの、今まさにベッドに入ろうとしている姿だった。彼女はそのまま彼の胸に縋りつくように抱きついた。

 小さな肩が震えていた。蒼次郎は何も言わずにその細い身体をそっと抱きしめる。我を失っている―何か突発的な恐怖でどうして良いのか分からない、そんな風に見えた。

「お酒でも飲みますか?」
「ぁ―あの」

 やがてはっと顔をあげた藍子は、我に返って慌てて身体を離した。

「す、すみません」
「謝る必要なんてありませんよ。藍子さんに抱きつかれるなら俺は大歓迎です」

 離そうとした手を不意に掴まれて、藍子は反射的に身体を強張らせた。

「あの―」
「何がありました?」

 覗きこまれて、藍子は怯えたままそっと彼を見上げた。

 十数分前、藍子は母に呼ばれていたことを思い出し、寝る前に彼女を訪ねた。行ってみると、何ということはない用だったので、話を済ませてすぐに部屋を出たのだが、母の部屋を出て扉の前で目にしたのは―

 狭霧が周囲の様子を窺うようにして藍子の部屋の扉の前に立ち、ノックもろくにせずに中へ入って行った姿だった。ぎょっとして彼女は立ち竦んだ。咄嗟にどうして良いのか分からなかった。部屋にいなくて良かったという背筋が寒くなるような思いを抱いたまま後ずさり、そのまま一気に階段を駆け上がって蒼次郎の部屋に飛び込んだのだ。

「ぁ―、あの、すみません、何でも…」

 うまく説明が出来なくて、藍子は言い淀んだ。

「何もなかった?」

 両手をしっかり握られたまま、まるで子どもを諭すような蒼次郎の声色に藍子は思わず視線が泳いだ。

「お部屋に戻れなくて」
「部屋に何か怖いことでもあったんですか?」

 藍子は小さく頷いた。それ以上のことは口にしそうにない藍子の様子に、蒼次郎は考えを巡らす。この家の中で彼女が怯える相手は決まっている。

「…そういえば、今日、探偵社の人間とすれ違いましたね」僅かに沈黙した蒼次郎は、やがてにこりと微笑んだ。
「狭霧さん、ですか?」

 はっと藍子は青ざめた。

「警告はした筈なんですがね」独り言のように蒼次郎は呟く。
「え」
「いや、こっちの話です」

 藍子は、掴まれている手を離してもらおうと蒼次郎を見上げる。

「あの―、手を…」
「狂犬に追われて狼の巣に逃げ込んできたんですね」
「え」

 蒼次郎は目を細める。

「部屋へは帰れない。では、ここに泊まりますか?」

 藍子は茫然とした表情で彼の目を見つめた。不意に腕を引き寄せられて大きな胸に抱きとめられる。シャツ一枚の男の身体は熱かった。不意に心臓がどきどきと音を立て始め、藍子は頬が火照るのを感じた。恐怖も嫌悪も感じない。ただ、震えが止まらない。

「覚悟は出来てますか?」

 その声を彼の胸から直接聞いた。
 


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