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藍色哀歌

藍色哀歌 第ニ部 魍魎2

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 瀟洒な屋敷の門を見上げて、その若い男は冷笑とも取れる笑みを浮かべ、吐き出すような息をひとつ吐いた。運転手付きの立派な車が何台か門を潜り抜けていき、それを横目で見つめながら彼は一人徒歩で玄関へ向かう。手には淡い色のバラといくつもの名を知らぬ可憐な花々で彩られた大きな花束を抱えている。

 車から降り立つ人々を丁寧に迎えていたこの家の執事と思われる年配の男性が、ふと顔をあげて男の姿を捉えホッとしたように出迎えた。

「お待ちしておりました」

 執事は静かに男に向かって声を掛け、振り返って屋敷の中を確認する。今しがた到着した一団が賑やかに奥へ案内されて消えていったところだ。

「どうぞ、こちらへ」

 男は無言で彼を一瞥し、大きすぎる玄関ホールを見上げて肩をすくめる。

「控え室へご案内いたします」
「皐月さん」男は口を開いた。「何年ぶりに親父に会うんだっけ?」
「十数年ぶりになるとうかがっておりますが」
「…憂鬱以外のなにものでもないな」
「そんなことをおっしゃるものではありませんよ」
「皐月さん」

 男は片手に抱えた花束をふわりと腕に抱いた。

「さらって逃げても良い?」
「それは―」

 男は、にやりと笑みを浮かべてバラの花に口付けた。

「冗談だよ」


 藍子の16歳を祝う宴が華やかに始まった。それまで質素を極めてきた諏訪の屋敷に久しぶりに光が灯ったような明るさがあった。

 母親の浮かれた空気とは裏腹に、まるで静かな笑みで彼女は招待客にお礼の挨拶をしてまわる。胸元に揺れる紅い珊瑚に誰もが目を留め、口々に褒め称えた。

「お誕生日おめでとうございます、藍子さん」
「ありがとうございます、大叔母さま」
「ご婚約者にいただいたの? その紅珊瑚は」
「―いいえ」

 固い笑顔の彼女の様子を特に気にも留めずに、父親の叔母である大叔母は意地悪く目を細める。本家である諏訪の家が傾いていく様子を眺めるのが憂さ晴らしでもあるかのように。

「いよいよ社交界に仲間入りなさるのね」
「ええ、光栄です」
「あまり恥ずかしくないように体裁は整えてくださいませね」

 唇を噛みしめて藍子は前を見つめる。

「藍子さん、ご婚約者の方はまだお見えにならないの?」

 別の親戚に声を掛けられて、藍子は、ええ、と短く答える。

「大学をご卒業されたらお父上のお仕事を?」
「いえ、それはまだ―」

 彼女の周囲で絶え間なくひそひそと囁かれる声に藍子は聞こえない振りをする。

「成島財閥とご縁を結ばれるとか? 諏訪家も形振り構わないほど落ちぶれて―」
「あら、花婿候補が他にもいらっしゃるとか。なんでも、ほら―」

 成島財閥。
 ああ、蒼次郎さん、何と言われようと、どう陰口を叩かれようと、本当にお会いできるのなら、私は他に何も要らなかったのだ。

「お母さまはご機嫌よろしくていらっしゃるわね」

 不意に背後から声を掛けられ、藍子ははっと立ち止まった。振り向かなくても分かっている。それは母の一番下の妹で、嫁いだ先が皇族所縁の家柄であることをいつも姉に自慢する、母にとっては一番会いたくない妹だった。

「娘を使っての金策なんて―。成金の俗物に嫁がされて、あなたもお気の毒ね、藍子さん」

 唇を藍子の耳元にそっと近づけて、甘い声が響く。藍子は彼女の方に一瞬顔を向けただけで何も答えずにそっと一礼した。

「私も娘が欲しかったのよ? 私の養女になれば将来は約束されていたのに」

 美しい叔母が、怪しく微笑む。彼女は子どもが出来ず、夫の親戚から養子をもらっている。藍子はそっと目を伏せて唇を噛んだ。一刻も早くこの場を去りたい。にこやかな笑顔と祝福の裏側に渦巻くどろどろととぐろを捲く黒い思惑。耳鳴りがするほど、交わされる囁き声が不協和音となって彼女の心を乱した。

 早く、―早く、終わって。もう、…何もかも。

 一通りの料理が出揃い、会場は賑やかさを増した。藍子の顔色はますます悪く、その最後のタイミングを見計らったかのようにようやく支度が整い、皐月が会場に呼びかけた。

「お集まりの皆様」

 皐月の声が会場に響く。

「藍子さまのお誕生とご婚約の披露にお祝いをいただきまして、ありがとうございます」

 その言葉で会場の照明が暗転し、スポットライトが藍子を照らし出した。恭一郎の手に導かれて、藍子はゆっくりと中央に進んだ。光の中で良いことは、周囲の人間の表情がまったく分からないことだ。

「では、ここで藍子お嬢さまのご婚約者にご登場していただきましょう」

 藍子は静かに前を見つめたまま微動だにしなかった。そこへ扉から藤堂と狭霧が真っ白なタキシード姿で登場すると会場からどよめきが起こる。その二人の姿に驚愕の表情を浮かべていたのは、成島だった。藍子は二人の姿をちらりと一瞥してそのまま視線をそらし、俯いた。

 ああ、蒼次郎さん、早くいらしてください!
 耳をふさいで叫び出したかった。

「ちょ…ちょっと待ってください。これはいったい―」

 抗議の声をあげる成島の声は周囲のざわめきに掻き消されている。

「では、藍子お嬢様に花婿を選んでいただきます」

 その言葉に藍子の両親は顔を見合わせた。そんな段取りではなかった。二人はまだ候補に過ぎないのだ。それを決めるのは藍子ではない。彼らだったのだ。

「皐月―」

 父が声をあげようとしたとき、不意に3人目の男が大きな花束を手に反対側の扉から現れた。不意をつかれた会場が再びざわめく。その男は茫然とつっ立っている二人の男を尻目に、真っ直ぐに藍子の前に進み出て一礼する。
え、と藍子の口が動いた。

 男はそのまま彼女の前に跪いたかと思うと、手にしていた花束を彼女に差し出した。

「藍子さん、蒼次郎です」

 しーんと静まり返った会場に、低い声が響いた。「お会いできて恐悦至極に存じます」
 藍子はその声の主を茫然と見つめた。

「蒼…次郎…さん?」
「ええ」男は真っ直ぐに彼女を見つめ返した。
「どうぞ」

 未だ茫然としたまま、しかし藍子は差し出された花束を受け取った。顔が隠れてしまうほど大きなその花束は、統一感のある淡い色の花が豪華に飾られている。それを胸に抱くとバラの香りがふわりと漂った。男はすっと立ち上がり、優しい目で彼女を見下ろした。藍子は食い入るようにその男を見つめる。

「蒼次郎さん?」

 ええ、と再び彼は頷いてみせた。ああ、と藍子は小さく叫んだ。

「蒼次郎さん、私も―、私もお会いしたかった」

 花束を抱いた両手が震えている。

「やっと…やっと、お会い出来たんですね?」

 見上げた蒼次郎の頭ひとつ分高いその眼差しは、どこか冷酷とも取れる光を宿していたのに、だけど、藍子はその奥に確かに灯る温かい色を見た気がした。二人の間に横たわった長い歴史の軌跡が信頼となって彼女の心を捕らえた。16年間焦がれていたこの瞬間。手紙の向こうで微笑んでくれた彼の、どんなときも心の支えであり続けてくれたかけがえのない友人。

 それまでそんな行動をとったことはなかった。しかし、そのとき藍子は夢中で彼の腕の中に飛び込んで、その胸にすがりついた。抱きついてきた藍子の背中をしっかりと抱き寄せる蒼次郎。

 散らばって舞う薔薇の花びらの中、わあっと、悲鳴ともつかない歓声があがった。

 僅かの間、しーんと静まり返ったその空間は、茫然と二人を見つめる藍子の父と母、更にあんぐりと口を開けている二人の男を尻目に、やがてどこかともなく聞こえた一人の拍手の音から、あっと言う間に割れんばかりの祝福の嵐となって二人を包み込んだ。 


「素晴らしい演出でしたね」
「私、なんだかちょっと感動いたしましたわ」

 何も知らない招待客のそんな声が交わされている。

 はっと我に返った藍子は、顔を赤らめて蒼次郎の腕の中から抜け出し、やや茫然としている両親の顔をちらりと一瞥して、更に皐月に視線を走らせた。彼がこれ以上ない温かい眼差しで藍子を見つめて小さく頷いたのが見えた。

「では、お二人がこれから皆様のところにご挨拶に伺いますので、どうか温かい祝福を賜りたく存じます」

 皐月がそう閉めくくってくれた声を聞きながら、蒼次郎は藍子の肩をふわりと抱き寄せた。

「藍子さん、一緒に父に挨拶に行ってもらえますか?」低い声が藍子に囁き「あ―はい。もちろんです」と藍子はどこか震える心を必死に抑えて顔をあげた。

 見上げると、しんとした彼の瞳と出会って、藍子は何故か慌てて顔を伏せる。冷たい光を感じるのに、蒼次郎の目はとても澄んでいた。淡い色がまったくない漆黒の瞳、闇色の髪の毛。そして彼はどこか日本人離れした不思議な顔立ちで、日に焼けて逞しい体つきをしていた。

 男の人だ―、と、藍子はそのとき初めて意識した。あれほど恭一郎の傍に纏わりついて一緒にいても、そんなことを感じたことはなかった。クラスメイトにも、上級生の男子生徒にも、彼女は相手が別の生き物であるような驚きを感じたことがなかった。

「お父さん、お久しぶりです」

 成島を見つけて声を掛けた蒼次郎の声に、藍子ははっと顔をあげた。
 幼い頃に一度会ったきりの息子を目の前にして、父親の成島は言葉を失っていた。

「あ、ああ。いや、蒼次郎―か」ややあって、気圧されるように彼は自分より背の高い息子を見上げる。
「随分、大きくなったんだな」

 どちらかというと体格の小さい成島は、それでも精一杯背伸びをして息子に張り合う。

「お父さんもお元気そうで」
「いや、…ああ、まぁ。お前はどうなんだ」
「変わりありませんよ」
「まぁ…その、婚約も整って、これでお前も気持ちが据わっただろう、しっかりやれ」
「ええ」まるで皮肉のように蒼次郎は口の端をあげてみせる。「お陰さまで」

 その眼差しに射抜かれそうになり、父は僅かにうろたえて視線をそらした。その先に白いタキシード姿の二人の男を見つめて、思い出したように彼は汗をぬぐう。あんな男共に出し抜かれ、長年の計画を台無しにされる訳にはいかない。

「しかし、蒼次郎、あの二人はなんだ?」
「さあ、―私にも分かりませんが」

 細めたままの瞳の奥が光る。二人の会話をそっと後ろで見つめていた藍子が、口を開いた。

「あの―、お義父さま。今度ともどうぞよろしくお願いいたします」

 胸元の珊瑚がつややかに光を照り返すさまがふと目に入り、‘お義父さま’という言葉に目尻が下がる。成島は満面の笑みを浮かべて息子の婚約者を見つめた。

「藍子さん、これで婚約も無事整ったことです、こちらこそ蒼次郎をよろしく頼みます」

 周りに聞こえるような大きな声で、彼は蒼次郎の肩を叩いてみせる。

 そこへ不意に諏訪夫妻が近づいてきた。二人とも悪びれもなくにこにこと笑顔を浮かべていた。彼らにとってはすべては順調に流れている。目を見交わした夫婦は成島に握手を求めた。

「素晴らしい息子さんを我が諏訪家に迎えることが出来て光栄です」

 物腰柔らかく一礼して去っていく諏訪夫妻を成島は満足そうに見送った。

「蒼次郎、お前には感謝してるよ」

 ええ、とそれを受けて蒼次郎は不意に笑みを浮かべた。「俺―私も、お父さんには感謝しておりますよ、彼女を守る機会を与えてくれたことを」

 言われた意味が分からず、一瞬間を置いて成島はぽかんと息子を見上げた。

「なんだって?」
「いいえ。では、どうぞごゆっくり」

 静かに歩み去る息子の後ろ姿を見て、成島はどこか違和感をおぼえた。幼い頃、認知のために母親が連れてきたあの小さかった子どもが、大人しく物静かだった男の子が、こんな風に得体の知れない男に育ったのだろうか。

「兄弟とはいえ、誠一とはまったく違った男に育ったな」

 誠一は、こんな風に堂々とした佇まいはしていない。頭は良いが、口数も少なく社交的な方ではなかった。それに比べて、こんな席に出たことはない筈の蒼次郎は、婚約者をしっかりとエスコートしてすべての出席者にそつなく挨拶をしてまわっている。

「いや、蒼次郎は母親の血が濃いのかも知れん。あいつの母親にはヤクザ者みたいな弟がいたな」

 二人が祝福の渦に一通り応えているとき、隅の方では恥をかかされた形になった藤堂と狭霧が憤慨していた。

「これはいったいどういうことですか?」
「成島家との縁は白紙に戻った筈では?」

 ああ、と生返事をしながら藍子の両親はその話をあからさまに避けた。

「いや、いずれ、君たちは替えの要員に過ぎなかった訳だから、仕方あるまい」
「そんな―」
「今後、不測の事態が起きん限り、これはもう決まっていたことだ」

 蒼次郎が会場に向かってお礼の挨拶を述べている。退席するつもりなのだろう。二人が群がる人の波を抜けて会場をやっと抜け出すと扉の前に恭一郎が控えていた。

「ああ、恭一郎さん」

 思わず声をあげその胸に抱きつく。

「ありがとうございます、恭一郎さん、ああ、皐月になんとお礼を言って良いか」
「いいえ、お嬢さま」そっと彼女の身体を引き離して恭一郎はその顔を覗き込んだ。
「長い間、本当にご心配させ、苦しませてしまい、父に代わってお詫びを申し上げます」

 藍子は首を振る。

「いいえ、皐月は約束を守ってくれました。それだけで、もう良いのです」

 涙をぬぐって藍子は顔をあげる。その瞳の色に恭一郎は胸を打たれる気がした。運命を受け入れ、さらに何か大きなものを諦めた者のような深く哀しい色を湛えていたのだ。

「お嬢さま、お部屋にお戻りになられますか?」
「ええ」
「では、蒼次郎さんは客間へご案内を―」
「いいえ、あの」藍子は慌てて言った。「私のお部屋にお茶を」

 蒼次郎は一歩下がって、二人のやり取りを無表情のまま見つめていた。彼の瞳にもまた、不思議な色合いが浮かんでいる。

「よろしいのですか?」

 それまで、友人の一人も部屋に招いたことがない彼女だった。長い間文通をしていたとはいえ、既知の間柄とは言い難い相手と二人きりになるということに恭一郎は驚いた。僅かに頬を赤らめて藍子は頷く。

「あの、恭一郎さんもご一緒に…」
「それは、ご遠慮申し上げます」恭一郎は意地悪く微笑んだ。「お茶をご用意させていただきます」
 


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