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藍色哀歌

藍色哀歌 第ニ部 魍魎1

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「ねぇ、お姉さん、初めて会う恋人に贈る花って何が良いのかな?」

 花屋の店員が、は? という表情で顔をあげた。彼女は店のグリーンのエプロンをつけて、先程注文の入った花束を作るための花を選ぶために、バケツの中に生けられた沢山の花に屈み込んでいたところだった。

 オフィスビルが立ち並ぶ一画に色彩を添えているそこは、小さいながらになかなか繁盛しているフラワーショップだった。

「いらっしゃいませ。花束ですか? それとも花篭とかのアレンジメントをご希望ですか?」
「アレンジメント? いや、よく分からないけど、花束を見繕ってくれないかな」

 彼女の前に立っているのは、夕日をバックにしたまるで死神のような装束の若い男性だった。何故、死神という言葉が浮かんだのか彼女は身体を起こして相手の顔を真っ直ぐに見つめて、ようやく納得する。白いシャツにダークグレーのスーツ、いや燕尾服調で妙な光沢のあるその色合いはどこか怪しい空気を纏っていた。そして、その奇妙な服を自然に着こなすその若者の瞳はまるで―。

「はい、あのどのようなお相手に」
「だからさ」彼はまるで皮肉な笑みを浮かべた。「初めて会う恋人に」
「は?」彼女は聞き違いだろうか、と重ねて尋ねる。
「初めて…お会いするんですか?」
「そうだよ」

 頭がおかしいのだろうか、と何か深い事情があるのだろう、との狭間で葛藤した彼女は、とにかく仕事と割り切ることに決めたようだ。

「あの、では―その、お相手の女性はお幾つくらいの方で、どのようなプレゼントなんですか?」
「きっかり16歳。明日が誕生日なんだ。明日の朝一番で取りにくるから用意しておいてくれる?」

 ふと目を細めた男の表情が、初めて柔らかい色を帯びた。その男の目は、ニンゲンを憎んでいる、とでもいうような冷たい光を宿していたのだ。そして彼女は、初めて相手の男の顔をしっかりと見つめて、その冷たい印象の裏側にある僅かな愛情のようなものを感じた。どことなく掴みどころのない、不思議な顔立ちの青年だと思った。


 父が戻って参りました、と恭一郎が藍子の部屋を訪ねたのは、彼女の誕生祝の前日の夜遅くだった。そのとき、藍子はぼんやりと真っ暗な夜の闇を見つめて窓辺に佇んでいた。

「帰ってきた? では、―では、蒼次郎さんは? 蒼次郎さんはご一緒ですか?」

 それまで青白かった藍子の顔にぱあっと赤みが差した。

「恭一郎さん、お願い、会わせてください、皐月は…皐月は今どこに?」
「お嬢さま、父は―」

 言いにくそうな恭一郎の背後から不意に皐月が姿を現した。皐月はそれまで藍子の両親に帰宅の報告をしていたのだ。息子に対しても詳しいことは何も告げなかった父の様子に、恭一郎は不安を抱いていた。藍子には会わないつもりなのではないかと思っていたのだ。驚いて振り返った息子に、皐月はただ小さく頷いた。

 そして、藍子に向かって一礼する。「ただいま戻りました。お嬢さま」

「ああ、皐月。待っておりました、一日千秋の思いで。蒼次郎さんは? 蒼次郎さんはご一緒ではないのですか?」
「藍子お嬢さま…」

 恭一郎が宥めようと声を掛けても藍子はただ必死に皐月の腕に取り縋る。

「ご心配には及びません。きっといらしてくださいます」

 皐月は微笑み、恭一郎は二人を部屋の中へ誘って扉を閉めた。

「まだ、体調が優れないということですか? もしや、入院なさっていたとか?」

 ええ、と皐月はどこか曖昧に答え、ご心配なく、と繰り返すのみ。

「よろしいですか、お嬢さま。蒼次郎さんはお元気で明日は必ずお見えになります。それを信じて本日は早くお休みになってください」

 ああ、それはいったいどういう意味なのか、と藍子は考えた。
 病に伏した蒼次郎が、明日のためだけに、最後の気力を振り絞ってやってくるとでも?


 朝から招待客の出迎えと挨拶、式の段取りの確認などに忙殺されながら、藍子は周囲の思惑も喧騒も一切心に留めずにただひたすら蒼次郎の現れる瞬間だけを待ち続けた。

 皐月も藍子に型通りの挨拶をしただけで普段と変わらない仕事に戻っている。実際、彼がいなくては分からない数々のことが未だ山積みになっていたため、皐月は昨夜からほとんど休んでいなかったようだ。

 恭一郎も、父と共に慌ただしく動き回っており、藍子は押し潰されそうな重圧と不安とに苛まれながら、ただ時間が過ぎるのを祈るしかない。

 父も母もその朝は機嫌が良かった。にこやかに成島が訪れたのを二人は僅かに複雑な表情で出迎えたが、もう二人の眼中に彼の存在はなかったのだろう。概ね彼らは和やかに談笑していた。パーティ会場に入る前の広い応接ルームで多くの招待客が思い思いの時間を過ごし、藍子と両親は一旦奥へ戻った。

 鏡の前で最後の支度を整えている藍子に母が声を掛ける。

「皐月があなたのためにさる高名な方より直接譲り受けてきたものだそうよ。世界にひとつという見事な紅色の珊瑚で、こんなに粒が大きいものは他にどこにもないとか」
「なんですか?」

 鏡越しに藍子は母を見つめた。そして、着付けを手伝っていた皐月の妻が「こちらです」と手にしたものを目にして、彼女ははっとする。それは鮮やかに紅い珊瑚の見事な三連のネックレスだった。

「古代の后妃が所有していたものだとの謂れがあるとか」
「素敵ですね」
「素晴らしいわ。こんなに美しい珊瑚を、今日のために随分前からお願いしていたそうで。皐月が直接受け取りに来るのなら譲っても良いと手放されたそうよ」

 うっとりとした母の声に、藍子は不意に思い出したことがあった。そうだ、確かにこれをどこかで見た覚えがあった。幼い日、屋敷で開かれたガーデンパーティの夜。その頃はまだ母も着飾って多くの客をもてなしていた時代だ。それほど装飾品に興味を示さなかった彼女が、何故かその珊瑚に目を奪われた。同じものが欲しいと母親に駄々をこねたことがあった。何故だろう? それを身につけていた女性に憧れたのだろうか? それとも、海の中でそれを愛でた人魚の心に触れた気がしたからであろうか。

 それを付けていたのは、とても美しい女性だった。決して若い方ではなかったが、女性として、いや、人間としての深みが滲み出るような、堂々とした佇まいをした銀の髪の女性だった。母に叱りつけられている藍子を見かねたのか、大人になったらお祝いに差し上げましょうね、と彼女は白い歯を見せて笑った。彼女はまるで夕焼けのような朱色のカクテルドレスを身に付けていた。その鮮やかな色が目の奥に蘇る。そこに皐月がいただろうか。分からない。しかし、その華やかな女性の笑顔を鮮明に思い出していた。

 あれは、―いったい誰だったのだろう?
 あとで聞いてみると、母も父も招待した覚えのない不思議な女性だった。

 その日、藍子のドレスは深いオレンジ色が基調で、そこにごく細い赤い縁取りのリボンが全体に散りばめられて上品な彩りを与えているものだった。更にその深い紅色の珊瑚は鮮やかに胸元を飾った。

 お祝いの品だと皐月は言った。藍子はその意味を信じようと思った。信じている間だけ、泣かずに済むのだ。蒼次郎を待つ間だけ、藍子は生きていようと思った。


「お時間です」

 やがて、藍子を呼ぶ声が聞こえた。藍子は毅然と前を見つめた。
 不思議なほど、彼女の心は静かだった。

 何故だろう。もう、何も怖くはなかった。彼女をここまで育ててくれた父や母、そして、彼女を見守り続けてくれた皐月や恭一郎。すべてに感謝し、すべてを愛しいと思えた。蒼次郎と引き合わせ、そして引き裂いたこの運命ですら。

 そこには‘死’ですら恐怖でも嫌悪でもなかった。
 


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