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藍色哀歌

藍色哀歌 第一部 幻影6

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 20日が過ぎようとしていた。

 恭一郎は父から毎日のように電話をもらって段取りなどの指示を受け、旦那さまや奥様、そして藍子のことなどを逐一報告もしていた。しかし、肝心の蒼次郎に関する朗報は父の口から聞かれることはなかった。

 それに対する質問には一切答えてくれず、いつも穏やかで冷静な父が相当切羽詰っているらしい気配が伝わってくるだけで、恭一郎も、蒼次郎―藍子の婚約者の安否に関しては口を閉ざすしかなかった。

 成島の家からは特に連絡がないため、表立って何も言葉はなかったが、藍子の父も母も、すでに蒼次郎のことは諦めているような感があり、藤堂と狭霧の二人に的は絞られているように見えた。二人の内、どちらを婿として決定するかという秘かな話し合いがなされているようで、藤堂も狭霧も様々な画策を施行していた。そのすべてに於いて藍子は蚊帳の外であり、彼女はただひたすら皐月からの知らせを待って暮らしている。

 衣装も料理の打ち合わせもすでに済み、もう、当日を待つのみである。本来なら、そろそろ二人きりで会うための秘かな段取りを確認して、うきうきしている時期であっただろう。初めてお互いを間近で見つめ会った時、いったい何を話せば良いのか、そもそも、相手は初めて見る自分の姿をどう感じるのか―、そういったものでソワソワしている筈だったのだ。

「お嬢さま。紅茶をお持ちいたしますか?」

 部屋の中で一人塞ぎこむ藍子に、恭一郎は声を掛ける。藤堂も狭霧も、今は藍子にではなく彼女の両親に取り入るのが忙しく、あまり彼女の周囲で煩わせることはなくなっていた。勝負は、今、まさに佳境だったのだから。

「ええ、お願いします」

 僅かに微笑んで、藍子は答えた。そして、彼を見つめた瞳に、不意に涙が零れ落ちた。

「恭一郎さん、皐月から、何か連絡はないですか? まだ、蒼次郎さんのことは、何も分からないんですか?」

 それまで必死に信じてきたこと、これ以上ないほど膨れ上がった不安、そして失いそうになってようやく気付いた長年の思い。それらが一気にあふれ出したのだろう。

「もう、イヤです。考えたくもありません。私は、蒼次郎さんといつかお会い出来ることだけを励みに生きてきたんです。他の方と共に生活するなんて考えられません。お顔を毎日見るのもイヤです。共に食卓に就くこともイヤです」
「お嬢さま」

 僅かに扉の向こうを気に掛けながら、恭一郎はしかし胸が激しく痛んだ。両手で覆った頬を涙が幾筋も伝い落ち、肩を震わせ、必死に泣き声を殺して、藍子は嗚咽していた。

「どうして、…どうして、蒼次郎さんは消えてしまったんですか? 私はいったいどんな酷いことをしたんでしょう? どうして―」
「お嬢さま。父は、まだ何も言いませんが、絶望も口にしておりません。きっと何か光があるんだと思います。どうか、信じて―、信じてお待ちください。決して絶望なさってはいけません」

 藍子の前に屈み込み、恭一郎は祈るような気持ちで言った。

 しかし、父の疲れた声が、これ以上ない気落ちした声が頭から払えなかったことも事実だった。もしも、間に合わなかったら? 或いは、もっと最悪の結果が伝えられることになったりしたら―?

 考えたくなかった。
 今は、ただ父を信じるしか、なかった。


「藍子さん」その夜、藍子は母に呼ばれて、両親の前に立った。
「成島さんのお父さまは、明日、ご予定通りお見えになるようです。ですけど、もし、万が一、蒼次郎さんが時間に間に合わなかった場合」
「イヤです!」

 誰もが驚いた。叫んだ本人、藍子ですら、反射的に出たその拒絶に息を呑んだ。空間が一瞬凍りついた。母は口を開けたままぽかんと娘を見つめ、背後で椅子に座っていた父は唖然とした表情で二人を交互に見た。今の声が娘の口から発せられたと思えなかったのだろう。

「あ―藍子さん、何をおっしゃっているの? よろしいですか? 明日は大切な日なんです。あなただけの問題ではありませんよ」
「イヤです。私は、蒼次郎さん以外の方と婚約などいたしません!」

 両手を握りしめ、藍子は震える声で言った。

「な…何―、今、何とおっしゃいました?」
「藍子」

 両親がそれぞれ驚きの表情で娘を凝視する。まるで反射的に立ち上がった父親は、無言で彼女の前に歩みより、娘の頬を叩いた。

「口答えするんじゃない」

 殴られた頬を押さえて、藍子は驚きと恐怖の表情を浮かべて父親を見上げる。

「お前の躾がなっていないから、こんな娘になるんだ」

 父は茫然としている母親に向かって喚きたてる。

「申し訳ございません」母のうろたえた小さな声が聞こえる。
「藤堂も狭霧も、今はまだ候補に過ぎん。お前が高校を卒業するまでに決定し、二人の内どちらかと結婚するんだ」

 父は興奮が抑えられない様子で不必要なほど大声でそう叫ぶ。従順だった娘に初めて逆らわれて動揺したのであろう。

「これは、決定だ。逆らうことは許さん」
「わ、分かりましたね、藍子さん」

 父と藍子を交互に視線を走らせながら、母の声が心なしかおろおろと揺れていた。

 藍子は、唇を噛み締め、瞳に涙をいっぱいに溜めて、小さく頷いた。親に逆らったことのない娘。押さえつけられ、意思を縛られて生きてきたのだ。他の方法など、彼女には分からなかった。


「蒼次郎さん、蒼次郎さん、―蒼次郎さん」

 部屋に戻った藍子は、耳を塞いでひたすらその名を呼び続けた。もう、他の誰も声も言葉も聞きたくない。

「私を迎えに来てください。来てくださったら、私はどこへなりとお供いたします。どうか、どうか―」

 例え、それが‘死’であっても―。
 それは、予感だったのかも知れない。


 翌朝、藍子は泣き腫らして瞼の腫れた赤い顔で身体を起こした。

 微かな頭痛を感じ、心が彷徨ったままでいながら、いつもの習慣で鏡の前に立った。かつて、蒼次郎が贈ってくれた姿見である。紫檀の鮮やかな色調の木目に繊細な細工が施された等身大の鏡で、藍子は一目でそれが気に入り、皐月に頼んで、その後、壁にしっかりと据え付けてもらった。

「酷い顔―」

 ぼんやりと腫れた顔を見つめたまま、彼女は蒼次郎とのそれまでに交わしたやり取りの数々を思い出していた。しっかりしていて優しい彼だったが、蒼次郎の日常にはそれなりにおかしな話題もあったし、失敗談などもあった。楽しそうに手紙に書いてくれた幾つかのエピソードが不意に蘇り、藍子は思わず笑みを漏らした。

 そして、ふふ、と声に出して笑った途端、もう、二度と彼からの手紙を待つことはないのだ、と不意に悟ってしまった。

「もう、―二度と…」

 声に出してみると、それは思いのほか悲しい響きで、藍子はその言葉の持つ空虚感に愕然となる。

「蒼次郎さん、どうして、私だけを置いて行ってしまったんですか?」

 鏡の中に問い掛ける。
 鏡の向こう側に蒼次郎がいるような気がした。

「私は、どうすれば良いのですか?」

 もう充分泣いた筈だったのに、涙が枯れることはないらしい。喉の奥がぐうっと熱くなって、瞼の熱が視界を歪ませた。

「蒼次郎さん」

 鏡に手を触れ、そのまま額を押し付けてみる。ひやりと冷たい感触が気持ち良かった。

「私も、連れて行ってください。…ずっと、お待ちしておりますから」



第一部 完


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