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藍色哀歌

藍色哀歌 第一部 幻影5

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 正直に申し上げます。
 僕は彼女を妹のような存在としてしか捉えておりませんでした。いえ、断言は出来ません。それに実際に会って、生身の女性としての彼女を目の前にしたらどう揺れ動いたのかはまったく予想はつきません。

 しかし、10年以上の手紙だけの付き合いの中で、彼女もまた、僕のことを家族のように、そう―兄のような存在と捉えていたのだと思います。実際、僕たちの関係はお互いの家族が公認というごく不思議なものでしたから。

 僕は彼女を守りたいと思い、彼女は僕を守ってくれる相手として慕い、信頼していたことと思います。その感情を何と呼ぶのか、…僕には分かりません。


「お嬢さま?」

 皐月―息子の恭一郎は、廊下の暗がりにうずくまる藍子の姿を見つけて声を掛けた。学校から帰宅し、母親に呼ばれて部屋を訪れたとこまでは見ていた。それがつい先ほどのことだ。恐らくそのまま飛び出してきたのだろう。

「どうなさいましたか?」

 その気配と声にぎくりと振り返った藍子の顔には恐怖が焼き付いている。

 父の代わりを務め始めて数日が過ぎていた。幼い頃にはこの屋敷に一緒に住み、やがて父の仕事を手伝いながら学校に通っていた恭一郎だったが、諏訪家が使用人の数を制限するようになり、彼は外へ修行に出たのだ。彼は幼い頃の藍子のことをよく知っていたし、藍子も恭一郎を覚えていた。

「恭一郎さん」

 震える声で彼女はすがるように彼を見上げた。

 父親が帰宅してから―、つまりは、藤堂と狭霧が屋敷に滞在するようになってから、藍子の様子が目に見えておかしくなっていた。表面上は平静を装って生活していたが、僅かに顔色が悪く、怯えた色が瞳に映っている。部屋に閉じこもるようになり、食事の量もぐんと減った。

「何でもありません」

 しかし、藍子は虚ろなままそう答えて立ち上がった。

「皐月は…」手を差し伸べた恭一郎の腕をそっと掴んで、彼女は言った。
「皐月から、まだ連絡はないのですか?」
「ええ、申し訳ございません」

 恭一郎は、藍子の細い指が震えているのを見て心が痛む。幼い頃、大人ばかりの屋敷の中で、年の近い彼を慕って後をついてまわっていた少女の面影がまだ色濃く残ったままだ。あの頃の彼女は天真爛漫で無邪気で、婚約者である蒼次郎との子どもらしいお遊びのような手紙のやり取りをただ楽しんでいて、よくその手紙を嬉しそうに見せてくれたものだった。

 今、彼は藍子の婿候補の二人とそう変わらない30歳に手が届く年齢になっている。それを踏まえて藍子を見ても、他に目的がなければ決して対象とはなり得ない彼女との年齢差を改めて感じるのみだ。

 旦那様も奥様も、何故、そんな残酷なことを強いるのだろうか。

「恭一郎さん」藍子は、彼の腕を握っていた手に不意に力を込めた。
「あの、…あの、こ―紅茶をいただけませんか?」
「はい、ミルクをたっぷりですね?」

 部屋に閉じこもっていると、母親が呼びに来る。そして、母の部屋を訪れると藤堂か狭霧が同席している、ということが続いていた。そこにお茶を運ぶ度に、恭一郎は、藍子が怯えきった顔色でこれ以上ないくらい身を縮めている姿を見ていた。

 言葉や理屈ではなくて、相手の思惑に本能的な恐怖と嫌悪を感じるのだろう。

「それで、あの―」

 藍子のすがるような瞳に、恭一郎は頷いた。

「はい、私もご一緒させていただいてもよろしいのですね?」
「お願いします」

 ホッとしたように藍子はようやく笑顔を見せた。


 昔、父の手伝いをしていると、まだ就学前だった藍子が遊びに来て、キッチンで母からもらったお菓子を食べながら二人でお茶をしたことがあった。旦那様も奥様も藍子には厳しかった。二人とも旧華族としてのプライドが高く、藍子にもそれに沿うようにと要求がきつかったと記憶している。もっとも、当時、彼はそれほど屋敷内のことには関わっていなかった。学業にも忙しかったし、部活動や友人との付き合いであまり家の中にいなかったからだ。それでも、そうやって時々藍子の息抜きに付き合うことを、父は喜んでくれていたように思う。

 藍子にとって、むしろ、婚約者として彼女に関わり続けてくれていた蒼次郎の存在は、父や母が唯一認めてくれた得がたい救いだったのかも知れない。

 
「使用人とお茶とは―、あまり感心出来る所業ではありませんね」

 藍子の部屋を不意に訪れた藤堂が、目の前の光景に憮然とした表情で二人を見つめた。

 窓辺に置かれた丸テーブルで、藍子と恭一郎は向かい合って静かにお茶を楽しんでいた。柔らかなクラシック音楽が流れ、開け放した窓から時折涼しい風がそよいでくる。二人は特に話しもせずに、目の前に置かれたビスケットに手も出さずに、ただ、ゆっくりと紅茶を味わっていた。

 ノックの音が聞こえたとき、藍子は、立ち上がろうとした恭一郎を制し、ただ、「どうぞ」と応えた。満面の笑みで扉を開けた藤堂の顔が一瞬ひきつったことを藍子はただ黙って見つめていた。

「恭一郎さんは、私の幼馴染みでもあります。私がお願いして一緒に紅茶をいただいております。―何か、ご用がおありでしょうか?」

 しんと静かな声で藍子は藤堂を見上げて、すぐに視線をそらした。声が震えなかったことに彼女は感謝していた。

「お母さまとのお茶をお断りしてまで、ですか」
「お部屋でゆっくりしたかったものですから」

 僅かに動揺して藍子の視線が泳いだことを恭一郎も藤堂も気付いた。ずっと両親の言いなりで育ってきた彼女には、お茶を断ることすら、相当の勇気が必要だったのだろう。

「それならそうおっしゃっていただけば良いのですよ、藍子さん。使用人と必要以上に親しくするのは感心いたしません。私が当主だったら、許さないことですね」

 藍子は怒りと羞恥でカッと頬を赤くして彼を見つめた。

「ご用がそれだけでしたら」
「ええ、退散いたしますよ」

 藤堂は恭一郎を一瞥して扉の向こうに消えていった。


「ああ、お前、皐月だっけ?」

 藍子の家族が目の前にいないと藤堂も狭霧も恭一郎に対する態度は一変する。あからさまに見下した態度・言葉遣いになり、上から目線で命令する。それに対して文句を言える立場ではない恭一郎は特に意に留めずに平静を装う。

「はい、なんでございましょうか」

 恭一郎が藍子の部屋からカップ等を下げて出て来るところを待ち構えていたらしい。藤堂と狭霧が廊下で何事かをひそひそと話し合っていた。

「藍子さんに必要以上にベタベタするな。今後、私たちのどちらかが正式にここに入ることになれば、使用人としての節度を守らない者にはそれなりの罰を与えることを検討していたんだ」
「左様でございますか」

 恭一郎は一礼して二人の脇を通り抜けようとした。

「お前の父親は、蒼次郎とやらを探しに行ったんじゃないのか?」
「父がどこへ行ったのか、私は分かりません。父はもともと自分の仕事に関しては私にあまり話しませんから」
「ふん」と藤堂はせせら笑った。「成島財閥は、いそいそと婚約披露パーティの支度を整えているらしいね」
「息子と会ったこともない父親が、感動の親子対面とか」

 狭霧が目を細める。

「本当に息子は現れるんだろうか、疑わしいそうだが?」

 恭一郎は何も答えずに歩き去る。

 二人はぼそぼそと会話を続ける。その中に嘲る言葉と共に藍子の名前が何度か聞こえて、恭一郎は胸がムカムカとした。父のように何事もなかったかのように受け流せるようになるには、どのくらいの忍耐力が必要なのだろう、と拳を握りしめる。

「お嬢様に言うことを聞かせることなんて簡単だよ。それより―」

 その言葉に思わず振り返って殴ろうかと思わず歩みが遅くなる。しかし、藍子の青ざめた顔色を思い出した。彼女も必死に耐えているのだ。

 藍子の両親が二人の正体に気づいていない訳はないような気がした。お互いに、相手をどう利用するか、それしか考えていないだけなのだろう。そこまで、この家は苦しい状態なのだ。

 そして、いつでも犠牲になるのは、一番弱く一番優しい者なのだ。

 彼の幼い頃の記憶にあるこの屋敷はもう少し綺麗だった。建物の傷みもさることながら、むしろ文字通りもっと多くの美しい調度品があり、飾ってあった高価な絵の額も多かった。今ではジュータンも薄くなり、掃除の行き届かない窓や壁は薄汚れて見える。
 屋敷全体に覇気が感じられなくなっていた。

 それでも、そこに住まう小さな妖精が、涼やかな光の手を差し伸べて、瀕死の花を一生懸命蘇らせようとしているように、恭一郎には感じられた。


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