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藍色哀歌

藍色哀歌 第一部 幻影4

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 今更、婚約に異論はありませんでしたし、僕たちはすでにそれを前提としての付き合いでしたから、本当に今更気が変わることなどないとは思ってました。だけど、初めて出会う場所が、二人きりで話しも出来ない大勢の前というのは、やはり納得がいきませんでした。

 だから、その数日前、いや、数時間前でも良いから、二人きりで「はじめまして」と握手をしたいね、と言い合っておりました。余所行きの格好ではなく、普段通りの服装で、普段通りの話をして、落ち着いた喫茶店のような静かな場所で、と。

 二人が初めて直接会うとき。それまで大切に抱いてきたお互いの理想像がきっと崩れるだろうことは予想の範囲です。いえ、頭では分かっておりましたし、少なくとも僕の方には覚悟もありました。ただ、彼女が実際の僕を見て、どれだけがっかりするだろうか、とそれがずっと気がかりでした。

 そして、思ったのです。僕たちの両親が二人を会わせたくなかったのは、理想と現実とのギャップに、二人の気が変わってしまうことを恐れたからではないかと。

 僕たちはきっと何度か他の異性に対して淡い恋心を抱いたこともありましたし、身近にいて傍にいてくれる相手に心を動かされたこともありました。それはその時々でお互いになんとなく伝わっていたと思います。綴る文字の端々に、心がそこにないことが分かってしまっただろうと。

 そうです。僕たちは、お互いに恋はしておりませんでした。それは当然のことでしょう。手紙だけの幻のような相手に、どうして恋愛感情を抱けるでしょうか。文字は言葉を綴り、心を織り込むことは出来ても、所詮紙切れです。肉声でもなければお互いの眼差しを感じることもなく、相手の体温を感じることも出来ません。もしも、それでもそれを‘恋’だというのなら、それはまやかしでしかなかったでしょう。


 父が予定よりも早く帰国した。皐月が少し休暇をいただきます、と出て行った翌日のことだった。

 母と共に父を出迎えた藍子は、父と一緒に玄関を入って来た二人の男性の舐めるような視線に怯えた。一人は30代半ばほどの面長の青年で、垢抜けたセンスの良い服装をしている。もう一人は温和そうな表情を浮かべた白髪の混じった丸い顔の男だった。二人とも背はそれほど高くなく、太っているわけではないのだろうが、すっきりした印象はなかった。

 父は、その場で二人を娘に紹介する。

「私の秘書としてずっと同行してくれている藤堂くん」
「はじめまして。藍子さん」

 快活そうに藤堂が笑顔を見せる。

「狭霧くんだ」
「はじめまして」

 狭霧は、丸い顔の中の細い目をさらに細めた。

「二人に部屋を用意してくれ」父は皐月の息子をじっと見つめる。
「皐月は…父君は休暇を取ったそうだが、身体の具合でも悪いのか?」
「お帰りなさいませ、旦那様。いえ、父は旅行を兼ねて、お嬢さまのご婚約お披露目の際にぜひともご用意したい品があると申しまして、それを求めに地方へ赴きました」
「そんな話は初耳だな」

 恭一郎は、それには応えずただ頭をさげる。納得したのかどうか、まるで表情を崩さずに、彼は妻に視線を移した。

「万事順調だろうね?」
「ええ」と母は重々しく頷く。「お疲れでしょう? お部屋でおくつろぎくださいませ」

 父と母が奥へ向かい、皐月が二人の客人を案内しようとしたとき、藤堂はふと藍子を振り返って微笑みかけた。

「では、お嬢さん、のちほど」

 ぞくりと背筋が粟立つような含みのある笑みで、藍子は思わず一歩後ずさった。絡みつくような視線。まるで商品を値踏みしているような目だった。


「成島蒼次郎の所在がつかめないという噂を聞いたが」

 部屋へ戻って着替えながら、父は何気ない調子で妻に聞いた。

「それは―私は存じませんが」
「婚約にケチがつくようなことになったら、諏訪の名に傷が付きかねない。あの二人をもう一度考えてみた方が良いかも知れないな。今まで苦労して守ってきたこの家が恥をかくような事態は絶対に避けなければならん」
「それは、本当ですの? 蒼次郎さんが行方不明というのは…」
「藍子は何か言ってないのか?」
「いいえ。ですが、確かにここのところ、あの子の様子は少し変でした」

 著名人を招待して催されていた夜会や数々の節目の祝い事、それがどんどん規模を縮小し、回を減らし、天皇家でシェフをしたことのある料理人を呼んで調理してもらうほどだった豪華なディナーなどもはや望めない。それに伴って、それまで賑やかにお世辞を並べ立てていた取り巻きは陰口をささやく悪魔に変わっていった。その惨めさに彼女は耐えられなかった。

 何より、気軽に声を掛けられるような存在ではなかった華族という身分。皇の血を引く一族であることの誇り。それをまるで軽々しく扱われるようになっていくことに我慢がならなかった。

「婚約のお披露目の予定は変更せん」
「今思えば、二人が未だ一度も会ったことがなかったというのは、かえって良かったかも知れませんわね」

 娘の心などを思いやる余裕が、そのときの彼女にはなかった。親の決めた許婚。それは彼女にとっても同じ運命を背負って嫁いできたことであり、その相手が変わろうと大きな違いはないという認識だった。娘が、一人では受け留めかねる巨大なる時間を、蒼次郎と共に必死に紡いできたことなど、知る由もない。

「皐月は若い跡取りを残して、何を探しに行ったんだね?」
「わたくしも詳しいことは」
「そうかね」

 父は、僅かに考え込んだ。

「まぁ、皐月のことだ。何か考えでもあるんだろう」そして、妻に向き直る。
「後で、藍子を呼んでくれるか。正式に二人に紹介しておこう」
「そうですわね、支度させておきます」


 屋敷を出た皐月は、まず蒼次郎のかつて住んでいた住所を訪ねた。そこは、閑静な田園地帯に立地された質素な木造のアパートで、企業の社長子息が住んでいたとは思えないような寂れた場所だった。一戸建ての住宅地が多い中に、その建物はそれほど違和感なく溶け込んでいる。蒼次郎の借りていた部屋は二階だったと思い、皐月はあちこち修理の跡のある階段を上る。

 建物は古かったが、よく手入れされている感じがあって、みすぼらしい空気はない。きしむ階段をゆっくり進んでいくと、部屋に通じる細い通路に箒をかけている小柄な老人の姿が目に入った。会釈して通り過ぎようとすると、その老人―白髪の男性は顔をあげて皐月をじっと見つめた。

「どちらに御用ですかい?」
「ええ」と皐月は蒼次郎の部屋があった方へ視線を移して、彼の名前を告げた。
「もう、とっくに出て行かれましたよ」

 その名を聞くと、老人は額の汗をぬぐいながら息を吐く。

「こちらにお住まいの方ですか?」皐月が聞くと、彼は笑った。「大家…って言っても、確かにワシもこの下に住んでおるがね」
「ああ、大家さんでしたか。これは失礼いたしました」
「あんたはどなたさんかね?」
「はい」一瞬のためらいの後、皐月は正直に打ち明ける。「私は成島さんのご婚約者のお嬢さまから依頼されて、彼の行方を探しております」

 大家は、僅かに驚いたような表情を浮かべたが、すぐに、ああ、と微笑んだ。

「そういえば、そんな話しを聞いたことがあった気がするな」
「どんな風にですか?」
「いや、―ただね、付き合ってる女性はいるのか? って話しをしたことがあって、そのとき、婚約者がおります、と答えが返ってきたことを覚えているだけじゃがね」

 彼は目を細めた。

「今どき、婚約者なんて言い方をするなんて古風だと思ったことを、今思い出したよ」

 大家の瞳は優しく細められていて、そのときの蒼次郎のどこか照れたような柔らかい面影が浮かぶような気がした。

「蒼次郎さんは、どんな風にここで暮らしていたんでしょう?」

 そうだなぁ、と箒に身体をあずけて、大家は息を吐いた。蒼次郎は家賃を滞納したこともないし、友達を部屋に呼んで騒いだりしたこともないし、特に目立った住人ではなかったと彼は語った。

「いつ引っ越されたのでしょう?」
「もう2ヶ月くらいは経つんじゃないかのぅ。確か、6月の初め…いや、終わりくらいだった―かな」

 そんなに前のことなのか、と皐月は驚く。

「どちらに引っ越されたのかご存知ありませんか?」

 大家は首を振って、また掃除を再開する。

「しばらく部屋に戻ってないな、と思ってた矢先に、なんでも友達だって人が訪ねて来て、その月分の家賃を払って、もうこの部屋には住まないからって言ったんだよ」

 彼はふと動きを留めて、遠い目をした。

「ワシもびっくりしてな、いったいどうしてなんだ、って聞いてんだがね。事情が出来て…としか言わなかったね。ここが気に入らないのかと言ったら、そういうことではないとその友達は笑って、そのまま引き払う手続きを全部して、荷物も処分したようだよ」
「ご友人…ですか?」
「そう言ってたね」
「どんな人だったんですか?」
「蒼次郎くんと同じくらいの年の若い男だったね」
「成島さん…蒼次郎くん本人から何か予告とか連絡とかはなかったんですか?」
「まったくなかったね。ワシはこうやって暇を見て掃除したり、壊れたところを修理したりして住人とは顔を合わせるんだが、…覚えている限りじゃ、何も言ってなかった。だから、最初は信じられなくってな。寝耳に水ってやつだったよ」
「彼のそのご友人は、どこの誰とかは―」
「いやぁ、まったく分からんねぇ。あれ以来、一度も姿を見たこともないし」

 まだ彼の部屋は空いたままだというので、中を見せてもらう。何か手掛かりが残っていないかと期待したのだ。蒼次郎は綺麗に部屋を使っていたようで、目だった汚れもなく、小さなキッチンの壁に僅かに油汚れの染みが残っており、畳張りの8畳の部屋に机の跡と思える凹みがある程度だった。紙くずひとつ残っていない。

「掃除は…そのご友人が?」
「ああ。手伝いと言って他にも何人か若い連中が来てたけど、静かに片付けていったみたいだね」

 今どきの若者にしては立派だな、と皐月は思う。蒼次郎もきちんとした若者だったが、その友人もしっかりした男なのかも知れない。

「何か、覚えていることはありませんか? どんな些細なことでも構いませんが」

 最後に、皐月は大家に聞いてみる。

「さぁ」首を傾げて彼は考える仕草をする。しかし、ややあって小さく首を振りながら大家はため息を吐いた。
「どんどん住人が減って、ワシも掃除のし甲斐がなくなったのう」

 全部でいくつあるのか分からないが、確かに表札の出ていない部屋が3分の1程度は見受けられる。蒼次郎が出て行ってしまって、彼は収入が減ったことにもがっくりしているのかも知れなかった。

「蒼次郎くんも、あの頃は大分疲れているように見えたね」
「疲れている?」

 帰りかけた皐月は、独り言のような老人の呟きに振り返った。

「疲れているっていうのか。そうだなぁ、顔色があまり良くなかったね」

 藍子が最後にもらった蒼次郎からの手紙のことを、皐月は不意に思い出した。

‘ペンを持つのが辛くて手紙を書くのが遅くなった’と、詫びの言葉が綴られていたと藍子は言った。それは、蒼次郎が病気だったということだろうか?

「あの」皐月は聞いた。「この辺で大きな病院といったらどこになりますか?」


 皐月が、そのアパートを出てふと顔をあげると、若い男がその建物を見上げて立っていた。たった今聞いた蒼次郎の友人と名乗る人物だろうか、と考えて、足早に階段を下りる。

「皐月さん…ですか?」

 相手の男が彼の姿を認めて声を掛けてきた。その声に覚えがあった。

「ああ、もしや、誠一さんでいらっしゃいますか」

 相手は僅かに顎を引いた。父の成島には何度か会っていた。彼はその輪郭や鼻の形などに父親の面影が見受けられた。蒼次郎自身を彼は知らなかったが、恐らくこの兄弟はそれほど似ていないと思われた。誠一は、相手の顔を見て話しが出来ないようで、どこか落ち着かない印象を与える。

「蒼次郎さんを探してくださっていたんですか」

 階段を下りて誠一に並ぶと、彼は、ええ、と答えて歩き出した。

「弟さんの行方は…」
「僕が弟に最後に会ったのは、半年前でした」

 生まれてから一度も会ったことがないと電話では話していた。しかし、そう言いながら、誠一の声色はどこか温かかったことを思い出していた。

「2年前に、偶然この町で出会って、同じ名前の男かと最初は思っていたけど、少し話して分かりました。ああ、こいつか―と」

 ええ、と並んで歩きながら皐月は先を促す。

「初めはなんだか無性に腹が立って嫌がらせをしたりもしたけど、…蒼次郎は良いやつで、僕のことは恐らく最後まで気付かなかったと思うけど…本当に良いやつで。僕は、まぁ、良いか、とあるとき思いました。その後はもうあんまり会うこともなくなったけど」
「お仕事か何かで関わりが?」
「大学のサークルにOBで顔を出していたとき、後輩が紹介してくれたのが蒼次郎だった」
「半年前は、蒼次郎さんは変わりはなかったですか?」
「何も変わらなかったと思う。でも、今思えば…どうだろう。いや、分からない」

 誠一は通りへ出る大きな道との交差点で足を留めた。

「後輩に連絡を取って聞いてみました。しばらく具合悪そうで心配してたと言ってたけど、忙しくて会ってない内に、あいつ、休学の手続きも取らずにいきなり来なくなったそうです」
「具合悪そうとは…」
「文字通り、顔色が悪くて疲れやすくなっていて、歩いている最中に苦しそうにうずくまったりしていたそうです。病院へ行けと言っても、行ってる、大丈夫だ、としか」
「じゃ、その後輩の方は」
「何も分からないそうです。アパートにも戻ってないことが分かって、家に戻ったんだと思っていたと言われました。でも、あいつは母親の家にも戻っていません」
「蒼次郎さんのお母さまというのは―」
「他に家族が出来て、そっちの男と住んでます」

 誠一の声は冷めているようでいて、どこか寂しそうでもあった。彼は彼なりに弟の身を案じているのだろう。そして、皐月からの電話を受けたとき、すでに予感のようなものがあったのかも知れない。

「僕に分かったのはここまでです」
「いえ、充分です、ありがとうございました」
「蒼次郎を見つけてやってください」

 誠一は初めて真っ直ぐに皐月を見た。皐月は困惑して兄を見つめ、相手の瞳の中の複雑な感情を思った。

「今朝そちらに電話をしたら、皐月さんは出かけたと言われました。それで、ここに来るだろうと思って待ってました」
「…お待ちになっていた。いったいいつから―」
「僕が弟と会ったことは、父には言わないでください」
「は―え、それはいったい…」
「僕の母は、蒼次郎の母親の存在を知って心を病みました。今でも母は入退院を繰り返してる。僕は蒼次郎を恨みました。だけど、彼もまた勝手な父に振り回され、母親には捨てられ、…ひどい暮らしだったようです。いや、経済的には父が必要な額は渡していたようですが」

 誠一は皐月の背後の何かを見つめて言った。

「出来ればもう一度、僕も蒼次郎に会いたいと思います」
「…分かりました。出来ることは尽くさせていただきます」

 ちらりと皐月に視線を移して、誠一は、お願いします、と言うと、そのまま通りへ出て歩き去っていった。その背中を見送って、皐月は停めてあった車に戻る。とにかく、病院をまわってみよう、と彼は思った。入院しているという可能性が一番高い気がした。
 

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