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藍色哀歌

藍色哀歌 第一部 幻影3

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 お互い、もちろん相手の容姿がまったく気にならないと言ったら嘘になります。でも、彼女の家では婚姻が整う前に僕たちが会うことをイヤがりました。時代錯誤甚だしいですが、それが彼女の世界であるなら、仕方がないでしょう。

 ただ、僕は一度彼女が身につける物を贈りたいと思ったことがありました。確か、一昨年の誕生日だったと思います。それまでは、画集とか、紅茶カップとかを送っていたんですけど。

 ふとした話しの中で、彼女は髪が長くて、学校へは髪を結い上げて行かなければならない、ということを聞いたことを思い出して、髪を結うといえばリボンなどはどうかと単純に思い立ちました。しかし、そういう装飾品には好みもあるし、似合う色という問題もあります。だから、僕は、言葉で説明出来る容姿を教えて欲しいと頼んだことがありました。

 そして、これがその返事です。

「どうしましょう、大変、ドキドキしております。そんなことをお尋ねになられると思っていなかったものですから。じっと鏡を見つめていろいろ考えてみましたが、言葉が何も思い浮かびません。生まれてから今日まで毎日見ている鏡の中の私。もしかしたら、この鏡は嘘をついているのかも知れないなどとも考えてみました。他の方の目に映る本当の私の姿がここに映っているものと同じだとどうして言えるでしょう?
 考えた末、皐月に聞いてみました。私の祖父の代から家にいる彼なら、私のことを理解していて、きっとうまく表現してくれるのではないかと思いましたので。口で言われてもそれを正しく私が書き取る保証はないので、皐月に書いてもらいました。
『藍子お嬢さまは、まるで日本人形のような真っ直ぐで一本一本が絡むことなく背中の肩甲骨の下辺まで届く長い髪をお持ちです。前髪は額を隠して眉の上でややランダムに揃えられております。眉はややくっきりと太めで、目はむしろフランス人形のように大きく、鼻は正直に申し上げましてあまり高くはありません。唇は鮮やかな朱色、輪郭はやや丸みを帯びて、或いは実年齢より僅かにお若く見えるかも知れません。全体的に整った聡明な印象を抱きます。身長は155センチ、体重は43キロです。手足は細く、手も小さめで、指はピアノを弾くには少し短いため、曲に寄っては演奏が難しいこともあります。お肌は不健康な白さではなく、日に当たれば赤くなることなく、健康的に小麦色になると思われます。』
 最後の一文は、私が実は色黒だということですね。だって、体育の時間はどうしたって外に出て競技する必要があります。体育館や屋内プールだけでは体育祭は出来ませんし。
 皐月の言葉は本当に合っているのか私には量りかねますし、このような表現で蒼次郎さんに伝わるのか、ご想像出来るのか不安ではありますが、いろいろ想像を膨らませてください。」

 日本人形のような少女。僕はそれを想像しました。瞳がきらきらと大きく、しとやかというより、活発でおおらかで活動的な女の子。つややかに長い黒髪に映えるのはビロード生地の鮮やかな紅色だろうか。

 僕が送ったそのリボンを彼女は大変喜んでくれました。


 数日が経過しても、蒼次郎の行方はまったく分からなかった。双方の家では、本人が直接関わらない手配や支度は急ピッチでどんどん進められており、まさか、二人が連絡が取れない状況にいるなどとは夢にも思っていない。藍子の衣装合わせは済み、母はもう娘のことよりも、自分たちの支度で忙しくなっている。

 出資者として株式を保有をしている父親は、ここのところ経営に多大な関心を示すようになり、投資している会社の経営に口を出すようになっていた。海外資本の会社に肩入れし、一年の半分を海外で過ごすようになっていたのだ。今回、月の後半に藍子の誕生日に合わせて日本に戻ってくる予定でいる。

 父に同行しているのは、かつて成島家と藍子の婿養子の座を争ったことのある二人の男だった。成島が気に入られたのは金に糸目をつけずに、諏訪の家に財力を注いだからであった。それだけ、成島にとっては名門諏訪家との縁戚関係が欲しかったのだろう。

 蒼次郎は、実は彼の父が外で作った子どもであった。兄の誠一が生まれて間もなく彼の母親は病に伏せ、その後の人生の半分は入院生活となっていた。その間に付き合った女性が産んだのが蒼次郎である。そのため、次男とはいえ、彼は父と一緒に暮らしてはいなかった。中学校まで母と暮らしたのち全寮制の高校に入学し、母親の家を出たあとは、卒業しても彼はそのまま一人暮らしを始めていた。

 妾腹ということで肩身の狭い思いをしたこともあっただろうし、自らの人生の始まりに疑問を抱き、苦悩したこともあっただろう。しかし、彼は藍子との手紙のやり取りの中で、そういった愚痴は一切書いたことはない。目に映る理不尽や不条理は心に留めることなく、前に続いていく道へのみ、神経を集中させていた。そうすることで、自らを鼓舞してもいたのだろう。

 だから、藍子が蒼次郎の出生のいきさつを知ったのは大分経ってからだったのだ。

 蒼次郎は携帯電話も持たず、固定電話も引いていなかった。手紙のやり取りだけで交流を続けてきた二人に、電話がないことはそれまで特に障害にはならなかった。もうすぐ、会える筈で、もうすぐ婚約者として行き来出来る筈で、もう手紙での交流も必要なくなる筈だった。

 こんな風に、途切れてしまう事態を、今までまったく想定したことはなかったのだ。

 これ以上、待つだけではもうどうしようもないところに至っていた。その夜、藍子は途方に暮れて恐らくもう自室へ引き上げているであろう皐月の部屋をそっと訪ねた。

「皐月、入っても良いですか?」

 扉の向こうからそっと顔を覗かせた藍子に、皐月はふと懐かしい思いを抱いた。藍子が幼い頃、よく彼の部屋を訪れ、一緒にココアなどを飲んだものだった。

「もちろんでございます。ココアをご用意いたしましょうか?」

 皐月はどこか嬉しそうだ。

「いいえ、あの、皐月。私、お願いが―」
「お願い、ですか?」

 皐月は藍子にソファを勧め、冷たいココアの用意を始める。変わらぬ静かな空間に、藍子はホッとした心地良さを感じる余裕はなく、無意識にいつものソファに腰を下ろし、両手を組み合わせたまま祈るように蒼次郎のことを思う。

「皐月、蒼次郎さんを探してください」
「お嬢さま」
「怖いんです。…もう二度とお会い出来ないような気がして、怖いんです」
「承知いたしました。出来る限りの手は尽くしてみます」

 皐月がテーブルに置いたアイスココアのグラスを見つめて、藍子は震える指を握りしめた。


 成島は、次男である蒼次郎と諏訪家の一人娘との婚約に関しては、弁護士を代理人として蒼次郎と連絡を取っていたため、実際に本人に会ったことは一度もなかった。それまでこの縁談に関して蒼次郎に異論はなく、婚約者とは連絡を取り合っているらしいことは聞いていたし、実際わざわざ会う機会を設けるほど時間に余裕もなかった。

 婚約披露の日が近づき、成島は長年抱いていた野望の達成―いよいよ華族と縁戚を結ぶことが出来ると心を躍らせていた。名もなき成り上がりの彼の唯一の劣等感、それさえ揃えば何もかもが順調に運んでいくと信じていたのだろう。

 皐月は打ち合わせのためや、確認のためと言って、成島の家にそれとなく探りを入れてみる。何度目かに電話を入れたとき、蒼次郎の兄の誠一が電話に出た。

「諏訪の…皐月さん、ですか」
「ええ。あの失礼ですが、蒼次郎さんのお兄さまでいらっしゃいますか?」

 相手は僅かに沈黙の後、ため息が聞こえた。

「生まれてから一度も会ったことのない男が弟なんてね」
「これは失礼いたしました」
「今まで何の連絡もなかったのに、どうしたんですか」
「成島さまが、最近、蒼次郎さんとお会いになったというようなお話しは―」
「さあ、最近父とあまり話しておりませんから」
「蒼次郎さんがお父さまにご連絡を入れるということも」
「皐月さん、でしたか?」途中で話を遮って誠一は言った。「何かあったんですか? 蒼次郎と連絡が取れなくなったとか、そういうことですか?」

 皐月はぎくりと冷汗をかく。

「いえ、そういう訳ではございません。ただ成島さまの方と確認していただきたいことがございまして」

 そうですか、と相手はそれ以上の追及はしなかった。

「僕には分かりません。伝えておくことがあれば聞きますが」
「いえ、こちらからご連絡させていただきますので」

 電話を切ろうとしたとき、誠一が言った。

「皐月さん、僕も弟を探してみますよ」

 え、と声をあげたときにはもう電話は切れていた。


「皐月、私この頃考えることがあるんです」
「なんでございましょう」
「蒼次郎さんは、もしかして私のことが嫌いになってしまわれて、この婚約はなかったことに―白紙に戻して欲しいという意味なんでしょうか」

 もう間もなく8月も半ばをも迎える。部屋に一人閉じこもっていた藍子にポットごとワゴンで紅茶を運んできた皐月は、寂しそうな彼女の言葉に僅かに動きを留めた。

「私、まるで小さい頃から一度も疑ったこともなくて―」言いながらゆっくりと彼の方を向いた藍子の声は細く震えていた。「蒼次郎さんが手紙をくれなくなる日が来るなんて、考えたこともなくって。いつかお会い出来る日をお互いが楽しみに待っているんだと信じて、いずれ、ずっと一緒にいられるようになることも…それが出来なくなる可能性が本当はいつでもあることに気付けなくて」
「お嬢さま」

 必死に涙を堪えている藍子の声が痛々しくて、皐月はカップに注いだ紅茶を差し出して言った。

「そんなことはございません。何かご事情があるんですよ」
「皐月」藍子はカップに視線を落としたものの、それを受け取ろうとはしなかった。「私、怖いです」

 皐月は何も言えずに俯く彼女を見つめる。

「蒼次郎さんと、このまま会えなくなったりしたら。もう二度とお手紙をいただけなかったら―」

 どうして良いのか分からない、と心の叫びが谺(こだま)する。
 物心ついたときにはすでに許婚者がいて、将来二人は夫婦になるのだと教えられ、それを疑うこともなくずっと信じて生きてきた。
 定期的な手紙の交流で育んできた信頼と友情。すでにそれが人生の一部となって彼女のアイデンティティの構成に関わってきているのだ。それ突然断ち切られるとは想像以上の恐怖なのであろう。

「お嬢さま、皐月にお任せください」皐月は静かに言った。すでに決めていたのだろう。
「私が蒼次郎さんの行方を調べてみます」

 え、と顔をあげた藍子の表情が見る見る明るくなった。

「本当ですか?」
「ご安心ください。きっとお返事をいただいて参りますから」

 当てがあった訳ではない。ただ、放っておけば藍子の父にも知らせが行くのは時間の問題であり、蒼次郎の行方が分からないとなったら、彼は娘の婚約のお披露目を延期するのではなく、婚約者を新たに見繕う用意があることを皐月は知っていた。娘の心よりも、彼にとって大切なものを守り、維持するためには手段など選ばないことを、今までずっと見てきた。

 皐月は、諏訪家の管理をそれまで他の屋敷で働いていた息子を急遽呼び寄せて任せ、一人、蒼次郎を探すために出かけた。藍子の手紙が返送されてきて2週間ほどが過ぎていた。


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