藍色哀歌

藍色哀歌 第一部 幻影2

 ←藍色哀歌 第一部 幻影1 →藍色哀歌 第一部 幻影3

 彼女は古い家柄の娘さんで、僕のような一般庶民とは違って、幼い頃から言葉遣いも丁寧でしたし、なんというか―、驚くほど純粋なんです。スレてないというか。そう、素直とかpureなんて死語のようなこの現代に。

 たまに僕たちは同じ映画を一緒に鑑賞するんですけど。ああ、もちろん隣に座って一緒にという訳ではなくて、同じ日に同じ映画を観て、その感想を手紙に書くというだけですけど。その感想が、恐ろしいくらい素直なんです。悲しい話には涙が出ましたと言い、ロマンス映画には感動したと興奮し、社会の理不尽さを著した問題作には、まっさらな憤りを見せてくれました。つまり、きっとこういう反応をするだろうな、と思う正にそのままの手紙をくれるので、僕は微笑ましさを通り越して、少し心配になるくらいでした。

 周囲にいる同級生や部活の友人、ごく普通の女の子たちとはまったく違った新鮮さがありましたし、だからこそ、こんなに長い期間、文通だけの関係でも続いていたんだろうと思います。

 それから、ああ、彼女は字が本当に綺麗でした。幼い頃はそれなりでしたが、きっと一生懸命、文字を練習したんだと思います。彼女の字があまりに美しいので、僕も書くという行為をとても神聖なものに感じられるようになって、文字を綴ることを丁寧に行う癖がつきました。これは、彼女から教えられた大切なことのひとつです。

 当人たちにとっての婚約とは、抗えない運命を嵐に靡く草原のようにたおやかに強かに甘受する試みであり、人生に対する精一杯の模索であった。変えられないものを無理に変えようとはせずに、そこに楽しみを見出し、安らぎを与え合い、運命に逆らわずに手を取り合う行程だ。

 しかし、それを仕組んだ大人たちの思惑としては、替えの利くひとつの策に過ぎず、お互いに充分な利益を見込んでの政略に過ぎなかった。

 それを充分に分かっていた皐月は、藍子の両親へ蒼次郎の行方が分からないという事実は伝えなかった。その策が失敗となれば、彼らは家を守るために容赦なく娘を人質に差し出すであろうことが想像に難くなかったからである。つまり、彼らは第二第三の資産家の娘婿候補を用意してあった。

 時折訪れる幾人かの花婿候補の男たちを、藍子がひどく嫌っていることを皐月は知っていた。いずれも藍子とは大分年の離れた野心家たちである。

 藍子の行く末を案じて亡くなっていった彼女の祖父。その大旦那に仕えていた皐月も、孫を見るような気持ちで藍子の世話をしていた。

「皐月、蒼次郎さんがね―」と頬を染めて嬉しそうにその手紙の内容を話してくれる藍子はとても幸せそうに見えた。「ほら、ここを読んでご覧なさいよ」と時々、藍子は皐月に同意を求めて手紙を見せてくれることもあった。その文面や几帳面に整った字面を見ていると、彼の目には蒼次郎はとても好青年に映った。この方ならばお嬢さまを大切にしてくださるだろう、と信じられるような誠実さがあった。


「藍子さん、学業の方は順調でしょうね?」
「ええ、試験の準備もおおかた整ってます」

 どこか上の空のまま、母の問いに藍子は答えた。あれから蒼次郎から何の連絡もなく、本当は彼女はあまり勉強が手に付かなかった。それまで、実際に会うことがなくても、定期的に続いた手紙のやり取りは、藍子にとってすでに習慣として生活の一部を占めており、彼の存在や彼の言葉、彼と語り合う多くの事柄は彼女の生きる支えにすらなっていた。

「それなら、藍子さん、衣装選びも終わったことですし、そろそろご挨拶まわりにも気を配っていただかないとね」

 父も母も華族として生まれ、贅沢で華麗な暮らし、格調高い上流階級の人々との関わりの中で生きてきた人たちだったので、本当の意味では世間にうとく、夢の中に生きているような感があった。その世界を守ることに必死で、娘への関心は調度品に対する気配りと変わりはないのかも知れない。それでも、藍子は父も母も嫌いではなかった。かつての栄光の中に生きている二人は、幻想的な夢をそのまま呼吸し、謳歌し、その世界を信じたまま逝きたいのだと、なんとなく分かっていたから。

「分かりましたわ、お母さま」

 藍子は固い表情のまま部屋へ向かって歩き去った。

 8月31日の藍子の誕生日。母がそれを楽しみにしていることは知っていた。二人の結婚に関わるすべての費用を蒼次郎の家で負担してくれることになっていたし、婚姻が整った暁には、息子の婿入り先を生活が困らない程度に整えてくれるだろうことを予想しているのだろう。

 生活が困らない程度、という度合いがそもそも父と母は一般の人々とかけ離れているのだ。お嬢さま学校へ通っているとはいえ、昔のように華族や皇族の子息・息女だけが集められていた時代とは違い、むしろ、蒼次郎の家のような俄仕立ての実業家の子ども達が多くなった環境で一日の大半を過ごす藍子の方が、現実をよく知っているかも知れない。

 お金がすべてであることと、お金では買えないものがあることの両方を、藍子はクラスメイトから、そして、蒼次郎から学んでいだ。

 二人は、いつもいつも仲良く他愛ない話をしている訳ではなかった。クラスメイトとのいざこざで藍子が悩み、落ち込んでいるときでも、蒼次郎は常に彼女の味方でいる訳ではなかった。そのものの行為の正否ではなく、一般的に正しいかどうかでもなく、蒼次郎は、藍子が「本当は彼女自身が分かっていること」を改めるように諭すことがあった。慰めてくれることを期待していた藍子が、彼の静かな言葉に驚き、手紙を破り捨ててしまいたい衝動に駆られるほどショックを受けたこともあった。

 それでも、手紙とはなかなか良い媒体であった。しばらくしてショックから立ち直り、僅かに反省もして、再び蒼次郎の手紙に目を通してみると、彼の本当に言いたかったことや、本当は心配してくれている心がじんわりと伝わってくるのだ。

 世間というもの、人との関わり方、社会の成り立ちなどそういうものを、華族という夢の中で生きる両親と生活することと平行して、違和感なく受け入れて成長してきた。


関連記事
スポンサーサイト


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 六趣輪廻
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 夜船閑話
もくじ  3kaku_s_L.png 刹那
もくじ  3kaku_s_L.png 蓮華国
もくじ  3kaku_s_L.png タナトスの翼
もくじ  3kaku_s_L.png さくら
もくじ  3kaku_s_L.png 聖火
もくじ  3kaku_s_L.png アニマ
もくじ  3kaku_s_L.png 聖~セイント~
もくじ  3kaku_s_L.png 狭間
もくじ  3kaku_s_L.png 完全数
もくじ  3kaku_s_L.png 天女のように
もくじ  3kaku_s_L.png 藍色哀歌
もくじ  3kaku_s_L.png こくはく
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編
もくじ  3kaku_s_L.png ザ!霊障
  • 【藍色哀歌 第一部 幻影1】へ
  • 【藍色哀歌 第一部 幻影3】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【藍色哀歌 第一部 幻影1】へ
  • 【藍色哀歌 第一部 幻影3】へ