天女のように

天女のように 10 憧憬

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 暁は、僅か10日余り通ってくれた良太郎のことをしばらく忘れなかった。彼が尋ねてくれていた時間になると、こっそりと玄関に立って良太郎の訪問を待っている。私には何も言わなかったし聞かなかったが、その後ろ姿が切なかった。そして、私は思い出したのだ。私も同じように兄の帰りをこんな風に待って玄関に佇んだことがあったという―もうすっかり忘れていた記憶を。

「暁、夕ご飯作るから手伝ってちょうだい」

 薫にミルクを与えながら私はリビングから声を掛けた。寝返りを始めて目を離せなくなった薫を、家事をする間、私は薫をリビングのソファに寝かせていたのだ。暁の赤ん坊時代のことは分からないが、薫はあまり泣かない子だった。お腹が空いたと訴えるときとオムツが濡れたと教えるとき以外、ほとんど泣き声をあげない。暁が大抵傍にいて相手をしてくれているせいか、眠いのに眠れなくてぐずることがたまにある程度で、手の掛からない赤ん坊だった。

「お母さん」と暁は言った。
「何?」
「絵を描く」

 え、と振り返る間に、暁は玄関から二階の部屋へ向かって走って行ってしまった。

 絵を描く。それは、暗に画材を買ってくれた良太郎のことを恋しがっていると言ってるのだろう、と私は感じた。

 そして、それをあの子自身が分かっていない。だから、そういう身体で表すことでしか悲しさや寂しさを放出出来ないのだ。

「うん、描いたら見せてね」

 私は階段を駆け上がる暁の小さな背中に声を掛けた。

 言葉には決して出さないけど、暁の言いようのない寂しさや孤独のようなもの、魂の乾きのようなものを私は肌で感じる。何故だか、そのふとした仕草で分かってしまう。ただ、つい、と玄関に視線をやる一瞬の瞳の色で。空を見上げる透明な瞳の光で。

 兄を待っている暁。良太郎を恋しがる暁。そして、―本当の母親を思う切ない子どもの心。

「お母さん」とあの子が瞳で訴えるとき、私はその視線を背中でもはっきりと感じることがある。そういうとき、あの子は真っ直ぐに私を見ている。ここで見捨てられたらもう縋るものはないという必死さで。

「暁、お母さんのことぎゅってしてくれる?」

 その寂しさは私のものかも知れない。だから、私はあの子にそう言ってみる。すると、暁はちょっと「しょうがないな」という笑顔を見せて私の胸に飛び込んでくる。そして、私の胸にしがみつく。小さな手を必死に背中にまわしてくれる。

 その瞬間、私は初めて満たされたような気がするのだ。
 だから、思う。
 ああ、この「寂しさ」は私のものなんだと。

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