「短編」
黒猫

黒猫 2

 ←黒猫 1 →【地球を抱く女神~その物語(roman)を探して~】
 何故、見ず知らずの女の子の言葉に素直に従ってしまったのか。
 言葉でそう思ったのではない。しかし、この子はあの黒猫の化身ではないかと感じてしまったのだ。
 黒猫。綺麗な黒猫だった。すらりとしなやかな肢体、人間を冷静に見つめているような気品漂う凛とした瞳。滑らかな毛並み。
 野良猫ではない、きっと飼い猫だろうと彼はしばらく思っていた。
 春先、鹿嶋は早朝散歩をしながら最後に神社に立ち寄り、石段に座って飲み物を飲み、一息吐いてから家に帰る、ということをしていた。ちょっとした健康ブームに乗っただけの軽いものだったが、習慣化してしまうと身体も慣れてきてそこそこ楽しい時間だった。
 あるとき、彼は神社で黒猫を見かけた。神社の境内につんすましたその猫は、彼が話しかけても素知らぬ振りで、ちょっとでも近づこうものならさっさと身を翻して走り去ってしまう。それでも、また翌日には寸分違わぬ同じ場所でその猫に出会う。
 話しかけても無関心なその黒猫は、近づくと逃げるので、彼は一定の距離を保って黒猫に挨拶をする。初めの内はまるでそっぽを向いたままだった猫だったが、「おはよう」と彼が声を掛けると声の方を向くようになってきた。飼い猫だろうと思っていたその黒猫は、どうもそうではないのではないかも知れなかった。どんどん痩せていく猫の様子に、鹿嶋はふとエサを与えようかと思い立つ。最初、つやつやと美しかった毛並みもなんだか汚れてきたように感じた。もしかして、捨てられたのだろうか。
 ある朝、家にあった出汁用の煮干をそっとポケットに忍ばせて鹿嶋は散歩に出た。神社に辿り着くと黒猫は、いた。やはり痩せてきたことが一目で分かる。彼はポケットから出した煮干を見せて、「お食べ」と彼と猫の中間地点にそっと置いた。
 猫はちらりともこちらを見なかった。鹿嶋はその日は長居することなく、すぐにその場を去った。果たして、翌日にはその煮干はなくなっていた。しかし、黒猫が食べてくれた保証はない。カラスや他の小動物が食べてしまった可能性もある。それでも、置いたエサが消えていたことに、鹿嶋は「よし!」という気になった。
 さすがに毎日煮干を家からくすねていく訳にもいかず、彼は猫用のドライフードを買った。そして、枯葉を皿の代わりにして、その上にそっとエサを置く。そして、去る。
 鹿嶋の目の前で食べることはなかったが、翌日、置いたエサはなくなっている。それに気を良くして、鹿嶋はせっせと黒猫のためにエサを運び続けた。
 その内、鹿嶋が姿を現すと、黒猫は僅かながら関心を示すようになり、ある日、とうとう彼の目の前でドライフードをたいらげてくれた。
「ようやく、心を許してくれたんだな。よしよし、また持ってきてやるからな」
 嬉しくなって鹿嶋は猫を撫でようとしたが、黒猫は彼の手が触れようとした瞬間、さっと身を翻してしまった。
「…あ、ごめん、図々しかったか」
 一人照れ笑いをして、それでも鹿嶋はうきうきしたままその場を去った。
 黒猫に会い、挨拶を交わし、食事を与える。その一連の流れは彼の中で僅かな潮流を作り、彼の心を温めてくれる。一旦鹿嶋の目の前でエサを食べてくれたら、黒猫は大分彼に慣れてくれた。すました素振りは変わらなかったが、ときにエサを用意する彼の腕にすうと擦り寄ってくることがあった。その瞬間の雷に打たれたような感激を、その温かい体温とビロードのような毛並みの心地良さを彼は忘れることはなかった。
 そんな早朝の至福は、ある日唐突に奪い去られた。
 夏が訪れた明るい朝、黒猫は人間が撒いた毒入りの肉団子を食べて、死んでしまったのだ。
 口から血を吐いて横たわっている黒猫を茫然と見下ろして、鹿嶋は自分がとんでもないことをしてしまったと気付いた。
 人間なんかを信じさせてしまったから…。
 茫然と黒猫の遺体を見下ろし、苦しんで死んでいっただろう黒猫の苦悶の表情に鹿嶋は嗚咽した。どこから嗅ぎつけるのか、もうハエが黒猫の周囲をぶんぶん飛び回っている。涙をぼろぼろ零しながら、彼は黒猫の身体をそっと抱き上げて、境内の裏、木々の間に分け入った。そして、その辺の枯れ枝や落ちていた金属の破片などを使って穴を掘り始めた。
 土は意外に固く、穴を掘るのはなかなか骨の折れる作業だった。それでも彼は視界がぼやける中、無言で掘り続け、ようやく黒猫の身体がすっぽり収まる程度の広さを掘りあげた。
 暗い地面の底に黒猫の身体を横たえる。そして、今日あげる筈だったエサを口元にそっと置いた。
「今度生まれ変わってきたら、俺のところに来いよ。今度は一緒に楽しく暮らそうぜ」
 涙が一粒黒猫の毛皮を濡らした。上に注ぐ土を出来るだけ細かく砕いて、足元からどんどん埋めていく。もう、この子に誰も触れることがないように。これ以上穢れることのないように。
 この子は神社の守り神のようなものだったんじゃないかふと鹿嶋は思った。ずっと境内でここを守っていたのだ。
 
「これ、似合うと思わない?」
 はっと気付くと、金の鈴のついた紅い小さな首輪を指差して、梓が微笑んでいた。まっ赤というより、深い血の色のように鮮やかで毒々しい色だ。しかし、確かに、あの黒猫にこのしっとりとした赤は映えるだろう。
「そうだね、良いね」
 鹿嶋は頷いた。
「これ、買ってくれる?」
「良いよ」
 男が雑貨などを選んでいるからだろうか。どこか気味悪そうに彼を見る店のおばちゃんに会計を済ませて二人は店を出る。そして、お互いに無言でとぼとぼと神社へ向かった。
 鹿嶋はあれ以来、早朝散歩をすっかりやめた。失ってから初めて彼は知った。神社であの黒猫と過ごす時間が彼にとってどれだけ大切で、重要な意味を持っていたのかを。ともすると、その日一日、自らの存在をしっかり抱いて生きていけるだけのエネルギーを充填していたということを。
「黒猫はさ」
 境内の前まで来ると、梓は言った。
「別に鹿嶋に感謝していなかったと思うよ」
「え」と一瞬驚いた彼は、やがてくしゃくしゃの笑みを浮かべた。「うん、そうだろうな」
「だからさ」と彼女は淡々と言葉を紡ぐ。「鹿嶋を恨んだりもしてなかったんだよ」
 思わず見おろした梓は、ごく普通の女子中学生で、もちろん黒い毛並みも黒いしっぽもなかった。だけど、鹿嶋にはそれが彼女の口を借りて伝えられた黒猫の言葉のように思えた。
「そうだろうか」
「そりゃ、そうだよ」梓は笑った。「何、自惚れてんの?」
 ごく自然に黒猫の墓の前に進んで、二人はお墓の前でしゃがみ込んで手を合わせた。そこでようやく鹿嶋は「え?」と思った。
「君、どうして俺が黒猫を埋めた場所を知ってるの?」
 特に目印を置いていた訳でもない。いずれ自然に返れば良いと、彼は周囲と違和感のないような形にしていたのだ。
「だって、ずっと見てたもの」
「…ど、どこで?」
 梓はゆっくりと笑みを浮かべた。それはぞっとするような影のある笑みではなくて、まるで慈愛に満ちた菩薩のような柔らかいものだった。
「ありがとう、鹿嶋。あたしもそろそろ逝くよ」
「は?」
「あたしも今度は鹿嶋の子どもに生まれ変わりたいな」
「な、何言って―」
「それ、このお墓に供えてあげて。黒猫が、今度鹿嶋に出会うための目印だからさ」
「お、おい、ちょっと待てよ!」
「さよなら」
 不意に梓の輪郭がぼやけ、一瞬、彼女の背後に黒猫の影が見えた気がした。
「梓―」

 自分の声の大きさに驚いて鹿嶋は我に返る。
 辺りには誰もいなかった。手にはさっき買った赤い首輪がぽつんと残されていて、夢ではなかったのだと辛うじて認識する。
 そして、その後、鹿嶋は知った。
 深山梓。彼女は実在の女子中学生だった。隣町の市立の中学校の生徒で、数年前のある日の帰宅途中に行方不明になり、大分経ってから山の神社の境内で絞殺遺体で発見された。
 そうか、この制服はテレビ報道で観たものだったのだ。
 彼女が何故殺されたのか―。
 殺された彼女の魂が、それでも何故あんなに清らかだったのか。
 ありがとう、と彼女は言った。
 彷徨っていた彼女の魂が神社という空間に引き寄せられ、そこに毎朝通う鹿嶋を見つけた。彼女を殺した男と同じ年頃の男。似た背格好の男。
 しかし、殺された彼女の悲しい心は、鹿嶋と黒猫の交流を見続けている内に恨みも憎しみもどんどん溶けていった。神社の浄化作用と共に、彼女の中から生まれてきたのは、‘慈愛’の心だったのだ。

 いつか、三つの魂が再び出会うとき。
 世界がすべて安らかであることを―。


 
関連記事
スポンサーサイト


総もくじ 3kaku_s_L.png 短編
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 六趣輪廻
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 夜船閑話
もくじ  3kaku_s_L.png 刹那
もくじ  3kaku_s_L.png 蓮華国
もくじ  3kaku_s_L.png タナトスの翼
もくじ  3kaku_s_L.png さくら
もくじ  3kaku_s_L.png 聖火
もくじ  3kaku_s_L.png アニマ
もくじ  3kaku_s_L.png 聖~セイント~
もくじ  3kaku_s_L.png 狭間
もくじ  3kaku_s_L.png 完全数
もくじ  3kaku_s_L.png 天女のように
もくじ  3kaku_s_L.png 藍色哀歌
もくじ  3kaku_s_L.png こくはく
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編
もくじ  3kaku_s_L.png ザ!霊障
  • 【黒猫 1】へ
  • 【【地球を抱く女神~その物語(roman)を探して~】】へ

~ Comment ~

タイトルに惹かれて 

ついついタイトルに惹かれてしまう、猫好きの私です(笑)

黒猫は、感謝もしていなければ、恨んだりもしていない。

きっと、そうなんでしょうね。
これ、救いの言葉でもあり、ちょっと寂しい気分にもなる言葉だなあ。

このお話は、比較的最近のものなのでしょうか?
今までの朱鷺作品とは、どこか違った雰囲気を感じます。
説明しすぎていないところがいいですね。
想像の余地を残している分、深い余韻を感じさせます。

前半の、梓が、鹿嶋の言葉遣いを正す場面。
あ、このいたずらっぽい感じは、きっと黒猫の生まれ変わりだ、と思いました。
でも違ったんですね。
ラストシーン、彼女の正体らしきものを知って、意外な思いをしました。
そうきたかあ、という感じ。それでも、妙に納得する思いもあります。
ショートストーリーとして、最後のパズルピースが、ぴたりと収まった感じです。

この物語、梓視点で描いても面白いかもしれませんね。
生きている人間の滑稽さ。その奥にある純粋さ。
死者の目からは、そんな風に見えているのかもしれない。

素敵な物語、ありがとうございました。
それにしても、朱鷺さんの創作意欲は落ちませんね。
思いついたことを、すぐに形にできるとは、うらやましい限りです。

Re: タイトルに惹かれて 

片瀬みことさん♪

 お久しぶりでゴザイマス(^^)

 久しく放ったらかしのこのブログ。すみません、お陰でチェックの目も行き届かず、お返事が遅れてしまいました~~っ
 すみません、すみません、すみませんっ!!
 猫と言えば、みことさんの雨の日に出会った猫さんの物語が浮かびますね。あちらも、朱鷺にとっては「そうきたか~っ」ってやつでしたよ!

 これは、佐世保の事件に捧げる…ってものでしたが、ここ数十年の悲しい事件すべてに捧げる物語、という感じかも知れません。
 これ、梓と鹿島の会話にもう少し深みを入れて、悲しい事件の背景を明らかにすることで重みを増せば良かったと考えております。
 その内勝手に加筆しているかも知れませんが、大筋は変わりませんので、…ははは(^^;

 梓視点の物語。
 それをやるなら、あの佐世保の事件の彼女の背景や心情をもっと詳しく知りたいな、という気がします。彼女と殺された猫との悲しいつながりを知った上で物語にしてみたいな、と。
 酒鬼薔薇事件を覚えていらっしゃいますか?
 犯人のご両親と被害者御遺族が本を出版されていたので、それを買って(アマゾンの中古で)読んでみました。何故、闇が生まれるのかが知りたくて。しかし、ご遺族の無念の心情は痛いほど伝わってきましたが、犯人のご両親の手記はまったく何も心に残りませんでした。お詫びの言葉もない、死んでお詫びしたい、等反省の言葉は繰り返し何度も出てきますが、心動かされる「真実」は恐らく何も書かれておりませんでした。普通に育てました、あの子はちょっと変わっているけど普通の子でした、どうしてこんなことになったのか分かりません。それしか書かれていないのです。
 いや、嘘を吐いているとは言いません。だけど、真実は何も語っておりませんでした。つまり、何故、闇が生まれるのか? それを防ぐにはどうしたら良いのか? それへの回答にはならなかった。だから、朱鷺も犯人の心というものが、あまり理解出来ず、そちらサイトの闇を描けずにおります。
 それは被害者本人にとっても重要なことだと思うから。

 実は創作活動は著しく滞っておりまして。
 最近は雑記のような日記のような、エッセイ崩ればっかり書いております。つまり、それだけ言葉にして昇華したい日常に翻弄されて物語を描く体力的余裕がなくって、うお~っ! と吠えたくなっております。
 気力・体力が続かなくなっていく人生の秋に、しょぼくれそうです。(なんのこっちゃ(--;)

 いやいやいや、それにしても、みことさんのご訪問は大変嬉しい励みになりました♡
 本当にありがとうございました(^^)

NoTitle 

せつない物語でした。
でも、読後はとても爽やかです。
梓が慈愛に満ちた姿で成仏できたみたいで
ほんとによかった、と思えました。

相変わらず、朱鷺さんの小説の文章は、読みやすいのに美しいです。
すらすら読んでしまいました。

朱鷺さんのコメ返を読んで思いました。
私もそうなんです。
私も、闇の心が知りたい。
さまざまな凶悪事件の犯人は、なぜその犯罪を犯したのか。
それが知りたい(まあ、拙作のネタのためでもあるんですが(^^;)。
酒鬼薔薇事件は衝撃的でしたよね。
西幻も読んでみようかな。

西幻さん(^^;!! 

すみません、相いも変わらず返信が遅くなり、大変、失礼いたしました~~~っ

これは、…はい、前述のコメ返に申し上げた通りの感じで、あの事件にいてもたってもいられなくなって描いた世界でした。
「闇」の生まれる過程。
これにたどり着けるなら、今起こっている大半の事件は未然に防げそうです、ってくらい、今の世の中悲鳴を上げている子たちばっかりで…

ツイッターやブログでたまに関わっている子たちも、心が綺麗で、それが故に苦しんでいる子ばっかりで、泣けてきます。
そういう子たちが生きやすくなるにはいったいどうしたら良いんでしょう?
↑なんか、この感情を、大変失礼ながら、西幻さんにも感じます。なんだか、生きていることが苦しそうなので…
(いや、すまん、病んでいるのは朱鷺の方っすが(--;)

まぁ、芸術家ってのは病んでないと作品を生み出せませんからな。はははは(^^;


また遊びにいらしてください。こちらもちょこちょこお邪魔させていただきます♪
ではでは。
良いお年をお迎えください(^^)

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【黒猫 1】へ
  • 【【地球を抱く女神~その物語(roman)を探して~】】へ